有楽製菓株式会社
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みんなでつくる未来の夢工場 工場建設を成長のプロセスに
工場を流れるブラックサンダー
有楽製菓株式会社
1955年創業。主力商品「ブラックサンダー」などの菓子製造・販売を手がける。地域限定の土産菓子を展開する観光事業や、海外事業も展開。売上高165億円、従業員数458人(2024年7月期)。
人気菓子「ブラックサンダー」を手がける有楽製菓は2024年、愛知県豊橋市に新たな工場を建設。単なる増設ではなく、業務や働き方の改善につながる改革のプロセスである。従業員の成長と意識改革を促すプロジェクトの背景にはコンサルタントとの対話と学びがあった。
有楽製菓の課題
能力最大化とコスト最小化/物流の最適化/工場の「魅せる」化
有楽製菓は「ブラックサンダー」などで知られる菓子メーカーだ。1955年に東京都世田谷区で創業し、1962年に小平市へ本社と工場を移転。1979年には愛知県豊橋市にも工場を新設した。1994年から製造が始まったブラックサンダーはとある国際スポーツ大会に出場した選手の「現地に持ち込むほどの好物」とメディアで大きく紹介され、爆発的なヒットとなり、生産が追いつかなくなった。
そのため2011年に豊橋市内に新工場を建設し、段階的に旧工場から移転。経営理念である「夢のある安くておいしいお菓子を創造する企業を目指します」から、「豊橋夢工場」(以下、夢工場)と名付けられた。だが、その後も人気は衰えず、生産ラインの増設を経てもなお、需要に応えるには不十分だった。こうして2022年末、隣接地に「豊橋夢工場第2工場」(以下、新工場)を新設する計画が始まった。
既存工場のコピーではなく将来を見据えた新工場に
新工場建設のプロジェクトリーダーを務めたのは、取締役の高橋通昭さん。夢工場の建設プロジェクトにも携わり「当時は新設備の導入による生産力向上が最大の目標だった」と振り返る。加えて衛生管理の手法であるHACCPやISO(国際標準化機構)の基準に対応した製造体制の構築も急務だったという。
当時も喫緊の課題に応えつつ、できる限り工夫を重ねて設備と環境を整備した。だが夢工場建設から約10年が経ち、社会は想定以上の速さで変化を続けている。
また夢工場は複合的な発想で設計したが、結果的に壁や仕切りが多く、周囲を確認しにくい場所も生まれた。「コミュニケーションが取りにくい構造になったのが想定外でした」と、高橋さんは当時の構想とのギャップを振り返る。
新工場建設のプロジェクトリーダーを務めた、取締役・高橋通昭さん
その反省を踏まえ、今回は「既存工場のコピーではなく、将来のものづくりを見据えた新工場をつくる」と決意。「まずはコンセプトをしっかり策定し、その指針に基づいて何が必要かを決めていくことを目標にした」と語る。
コンセプトづくりは高橋さんのもと、推進事務局として副工場長の宇野泰生さん、保全課課長の若見圭佑さんらを中心に始まった。
まずは「みんなの視点を反映させながら新しい工場を建てたい」と考え、豊橋夢工場と札幌工場で担当者への聞き取りやアンケートを実施。その結果、現場からは600件もの課題が集まった。そのすべてに目を通し、整理する作業は連日夜遅くまで続いた。自分たちでは気づけなかった視点も多く「必要なものは必ず取り入れよう」という思いで、実直にコンセプトに基づき施策に反映していった。
そうした中、JMACにコンサルティングを依頼したのは、プロジェクトを通じて課題解決の手法や分析を学ぶことで、社員一人ひとりの成長が期待されたからだという。JMACの辻本靖が訪問した際には「初回の打ち合わせ時点で多くの指摘を受け、親身になって相談に乗ってくれると感じました」と宇野さんは振り返る。
「新工場企画構想」で重視したのは、現場で働く人々が「安全・安心」で「働きやすい」環境を整えることだった。進行する少子高齢化を見据え、年齢や性別に関係なく、多様な人々が働きやすい職場づくりが不可欠であると考えたのだ。
副工場長・宇野泰生さん
その結果、段差のない床、くぐり抜け動作を必要としない動線、モノを持ったままでもムリなく移動できるレイアウト、清掃や点検のしやすさを意識した設備設計など、現場の細部にまで配慮が行き届いた設計が進められた。IoT化は現在も進行中で、将来的には夢工場の約半分にあたる「省人化」を目指すという。
本気で変えるため目標は「生産性を2倍にする」
新工場では「生産性2倍を目指す」という目標を掲げた。「最初は生産性を3割ほど上げよう、という話が出ました。でも、ある人に『3割という数字は今の延長線上でしか物事を考えていない証拠。本気で変えたいなら、2倍ぐらいで考えないと、本当の変化は生まれない』と言われ確かにそうだと思ったのです」(高橋さん)
一方、宇野さんは「正直なところ2倍は難しいと思っていました。でも数字を意識することで、なんとか実現したい、という気持ちに変わっていきました。社内だけでなくメーカーとも話し合いを重ね、どうすれば達成できるかを真剣に考えるようになったんです」と語る。
生産性2倍を達成するためには、全社一体で取り組まなければならず、工程の改善や設備の改善、さらにはオペレーションの改善など広範囲にわたって検討する必要がある。このときに、あらゆる場面で「生産性2倍」という目標が判断軸となり、適切な意思決定やあきらめることなくアイデアを出し続けることにつながっていった。結果、清掃のしやすさや機械切り替えの効率性なども徹底的に見直すことにつながっていく。原料倉庫の自動化もその一例だ。当初、導入には慎重な意見が多かった。理由は東日本大震災で自動倉庫が停止し、原料や製品の出し入れができなくなる事例があったからだ。
しかし運搬距離や工数を分析した結果、モノを探す時間、運ぶ時間を考えると、人がやるより機械に任せた方が合理的だとの思いが強くなった。「何年かに一度あるかもしれない地震のために、毎日膨大な労力をかけ続けるのは本当に合理的なのか?」。最終的には必要な安全対策を講じたうえで、自動化による日常的な生産性向上を優先すべきだと判断し、導入を決断した。
新工場企画構想から実現までの流れ
タイトなスケジュールをいかにして可能にするか
最大の課題は、新工場の立ち上げ・稼働までのスケジュールが2年と非常にタイトだったことだ。とくにネックとなったのが設備の導入。確実に導入が決まっている設備については、要求仕様の策定やベンダー選定を前倒しで進めなければならないが、検討が甘ければ手戻りのリスクが高まって大きなロスを生む。そのため、確実な計画と進捗管理を実行する体制づくりが、早期から求められた。
企画構想と同時に進めなければならなかった当時を振り返り、宇野さんらは「地獄のフェーズだった」と苦笑いする。しかし、この困難な時期を乗り越えたことで、その後のプロジェクトはスムーズに進行した。
短期間でのプロジェクト推進を支えたのは、プロジェクトを一緒に進めた協力会社との強固な関係性にもあったという。設備メーカーはもちろん、ゼネコンやサブコンなどの関係各社も夢工場建設時と同じ顔ぶれが多く、意図や考えを理解してもらいやすい環境が整っていたのだ。
ほかにもトラックドライバーの時間外労働に上限規制を設けた「物流の2024年問題」を見据え、新工場稼働により、夢工場を含めた出荷の流れが変化するため、「出荷の物流をどう変えていくか」も大きなテーマとして掲げて取り組んだ。トラックの滞留時間を計測・可視化し、待機時間の短縮や積み込み作業の効率化を図るなど、出荷体制の改革にも着手した。また「環境に配慮した工場として、太陽光発電の活用や地下水の利用といった、持続可能性を重視した取り組みも積極的に取り入れた。
さらに大きな目玉は、悲願だった「お客さま用見学通路」の新設だった。ねらいは「お客さまに開かれた工場」「ファンとつながる工場」として地域とのつながりを強化し、新たなファン創出を図ること。直営店も併設し、観光客の誘致などで地域経済に貢献したいと考えた。
「従業員にとっても家族や友人に自分の働いている場所を見せられれば、誇らしい気持ちになると思うんです」(若見さん)
高橋さんは「お客さまに見られている、という意識が働けば、現場の整理整頓や設備管理に対する姿勢が変わってくる」と話し、見学通路の副次的効果にも期待を寄せた。
保全課 課長・若見圭佑さん
新工場建設のプロセスで得た学びを生かしていく
当初は少人数でスタートした新工場プロジェクトだったが、次第に現場の課長や係長も加わり、作業標準整備チーム、記録効率化チーム、実績管理チーム、原料における誤使用防止検討チーム、自主保全問題解決高度化チームなど、複数のチームが立ち上がっていった。宇野さんは「みんなで一緒に勉強させてもらって、全体の意識改革にもつながりました」と話す。
保全課でも変化が見られたという。「保全の立場から積極的に意見を出していましたし、打ち合わせで宿題が出されると、すぐに宿題ミーティングが立ち上がっていました。必要なことを自発的に図面にマーキングする姿が見られるなど、小さな気づきの積み重ねが、現場の成長につながっていったと思います」(若見さん)
また「数字で会話する」ことが当たり前のようになったのが、大きな成長だったと口をそろえる。これまで現場では、なんとなく「良い」「悪い」といった感覚的な評価をし、具体的な成果や課題を数値で示す機会が少なかった。しかし、JMACのコンサルティングを通じて、自然と数字を用いた評価が習慣化され、データ収集にも積極的に取り組むようになったという。その結果、必要な指標を次々と見える化できるようになり、今では普段の会議でも数字を用いた議論が当たり前になっている。
さらに「やり切る」「後戻りしないよう出し切る」といった、辻本コンサルタントの言葉にも影響を受けたという。コンサルティングの過程で何度も使われた「やり切る」「抜け漏れなく」といったキーワードは、次第に現場の共通言語となり、社員一人ひとりの思考や行動にも影響を及ぼしていった。「言葉は発した瞬間に、自分自身がその言葉に向かって動き出すようなところがある」(高橋さん)
さまざまな取り組みを経て、2024年12月から、新工場は無事に稼働し始めた。「今回は〝財布の大きさ〟、つまり費用のマネジメントも自分たちで担ったおかげで、やりたいことがたくさんある中で何を優先し、何をあきらめるかを自ら判断するプロセスも生まれました。その意味でも以前のプロジェクトより、やりきったという感覚がすごく強いです」(高橋さん)
新工場建設のプロセスを通して得た経験や学びは、着実に成果を生んでいる。将来を見据え、2025年4月には新たに「イノベーションラボ」も始動。工場敷地にはまだ余剰スペースがあり、新ブランド立ち上げなどに今後も積極的に取り組んでいくという。
「ユーラク社員の心得」には、全社員が一丸となって仕事に取り組む「ワンユーラク」の考え方、そして社員一人ひとりが前向きな気持ちで挑戦し続ける「ワクワク第一主義」の精神が込められている。社員が安心して働ける職場であると同時に、訪れる人が思わずワクワクするような場所へ——。有楽製菓の新たな挑戦は、今まさに始まったばかりだ。
新工場につくられたお客さま見学通路
担当コンサルタントからのひと言
シニア・コンサルタント
辻本 靖(つじもと やすし)
新工場建設において、建屋や設備などハードの改善はもちろん、その活動を通じての業務改善や人材育成が図られる、貴重な場でもあります。特に企画構想のフェーズは大変だったと思いますが、深い分析に時間を費やした分、その後何回と訪れるさまざまな意思決定場面でも、自信を持って判断・行動ができたと思います。今まで光が当たっていなかった出荷や物流の改革にも目を向け、改善を進められたことも成果でした。今回の経験が未来に向けた、より良い工場運営につながっていくことを期待しています。
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』79号からの転載です。
社名、役職名などは取材時(2025年3月)のものです。
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