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研究開発現場マネジメントの羅針盤 〜忘れがちな正論を語ってみる〜

第12回 研究所は指標に頼らず存在感を示せ!

  • 研究開発現場マネジメントの羅針盤 〜忘れがちな正論を語ってみる〜

塚松 一也

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研究テーマ評価の指標化に頼り過ぎないこと

 研究かかるお金は決して少なくない。民間企業の研究は、道楽でそれをしているわけではなく、将来の事業・新商品のためである。しかし、研究にお金を出している経営陣からすると「本当に先行投資する価値のある研究をしているのだろうか」「研究の投資対効果は適切なのだろうか」ということが気になるものだ。そこで「投資が適切なのか、なんらかの指標で示してほしい」という要望が出てくることがある。

 ご存じの方も多いと思うが、世の中には投資の評価法として「現在価値法」などの手法がある。これらの手法をものすごくざっくり説明すると、今、取り組んでいる(あるいは、これから取り組もうとしている)研究テーマが将来のある時期に新商品・新事業となって花を咲かせ、実がなったとき、どの程度の収益を自社にもたらすと想定しているか、それにかかる費用(投資)にその期待収益は見合うのかを算出して求めようという考え方である。私は今回、このような手法にも意味はあると認めた上で、手法・指標化に頼り過ぎないことを訴えたいと思う。

 今、取り組んでいる研究がどのような商品になって、どのような市場、顧客にどの程度売れていくのかを推定するのは、普通に考えてもかなり難しいことである。

・技術の不確実性:研究の結果として技術が本当にできるのか
・市場の不確実性:想定しているような市場(想定対価を払いたくなるほどの顧客ニーズ)が生じるのか
・競合の不確実性:強い競合が出てくるかもしれない
など、さまざまな要素があり、正確に予測・想定するのがかなり困難なためである。

 研究テーマを認めてもらおうとすると、いきおい楽観的な見通しになりがちだが、そうすると「本当にそんなに市場は大きくなるのか? 本当に儲かるのか?」という質問がすぐに飛んでくるものだ。その質問になかなかうまく答えられずにシドロモドロしてしまうことはよくある。そもそも、将来の予測に「本当に」「絶対に」などといった形式で聞くのは無茶な話である。その無茶を承知の上で、研究の価値を分かってもらうために、市場規模を想定し指標化・数字化しているのが実際だと思う。

なぜ指標で見たいのか?その動機の2タイプ

 ところで、経営陣が研究テーマの価値を指標で見たい動機はどこからくるのだろうか。研究テーマの中身の話ではなく、指標化という"変換"をしてほしいという要請の根はどこにあるのか。

 広く一般化すると、"指標"で見たい動機には大きく次の2タイプあるようだ。
A:現場・現実をよく見て知っていて、さらにそれを指標で確認したい
B:現場・現実を見るのがタイヘンだから、指標を見ることで済ませたい

 Aタイプは、例えば、野球好きの人が試合をよく見ていて、その上で「この選手はチャンスに強いんだよね。ほら、得点圏打率が高いでしょ」といったような話である。研究でいえば「この研究がもたらす価値は□□なんだよね。この技術から生まれる商品は新しい○○市場をつくるよ。年間○○億円になりそうなんだ」といったふうに、研究内容を理解した上で、それをより補足するために指標なり数字を使いたくなる。

 一方、Bタイプは、同じく野球でいえば「忙しくて試合を見る時間がないので、成績表だけで判断したい」といった少し引いた姿勢である。研究でいえば「研究の中身の説明はいいから、指標だけで分かるように説明してほしい」といったタイプで、対象(研究内容)に関心や思い入れがない可能性がある。

技術がもたらす価値を物語として語れ!マネジメントはそれを促せ!

 Bタイプへの有効な対応法については、ここではあえて書かないでおこう。

 一方、Aタイプに対しては、真正面から価値を語っていくことがその答えになるはずである。Aタイプは、指標に先行して、どのような商品になりそうか、どのような市場を生み出せそうかを頭に思い浮かべたいというのがそのニーズの本質である。であるならば、その技術が生み出す商品や事業によってカタチづくられる象徴的な未来のシーンを語ることこそが、まっとうな対応にほかならない。

 テクノロジーの到達を性能の数値で示すことではなく、それが生み出す価値を"物語"として語ることこそが求められているのだと理解すべきである。平たくいえば、"夢"を語ること。夢を魅力的に語り、意思決定者の頭の中にも同様な夢を転写することである。

 ところが、中にはこの夢を物語として語ろうとしない、語れない研究者もいて、技術論に終始してしまう人を少なからず見掛ける。意思決定者たる経営陣は、技術がもたらす未来の価値を知りたいだけなのだ。それを語ることから逃げないこと、付加価値をきちんと言い当てることを研究者自身は自覚すべきであり、管理職はそのような価値語りを促していくことこそが重要な仕事になるのである。

研究所・研究者は、一目置かれる存在であれ!

 コーポレートラボはもちろんのこと、ディビジョンラボもその多くは、いわゆる"コスト・センター"である。今期の収益には直接寄与せず、今期はコストだけが計上(集計)される部門のため、会社の経営状況が苦しくなると、研究所のコスト削減(人員削減、研究者の事業部門への異動など)が行われやすい。時に"お取りつぶし"もある。

 研究所の存続のためにも、研究の価値を分かってもらう目的で、上記で述べたような"投資対効果"を指標で示すことがよく行われている。指標によるアプローチも決して悪くないが、これについても指標でない方法が重要だと私は考える。それは、研究している本人およびチームに期待を感じてもらう、信頼されるようになるというアプローチである。「なにを甘いこと言っているんだ!」と少々引かれてしまうことを覚悟で、最後に青くさく主張したいと思う。

 かつて研究所はある種の"聖域化"されていた時代がある。「まあ、好きにやらせておこう。とやかくいう必要はあるまい」というノンビリとした古きよき時代である。その後、経営環境が厳しくなり、目標管理的な仕組みや上記の指標化などが研究所にも導入されてきた。指標化して分かりやすくなるために導入されたという側面もあるだろうが、実際は研究者の言っていることは信頼されなくなったという要因も大きいのではないだろうか。経営陣から信頼されていないことが巡り巡って、「信頼していないから放っておけない。指標で示せ!」という構図になってしまっているようである。とするならば、ことの本質は、指標を精度高く算出するということよりも、経営陣からの期待・信頼を得る(取り戻す)ことにあると私は考える。

 そして、その期待・信頼とは、おそらく、はたから見てもはっきり分かるように必死感(悲壮感)漂うようにがんばる(というか、がんばっていることが他部門から分かるように見せる)ことではないはずだ。研究は、その仕事の特性上、あくせく動けばよい結果につながるとは限らない。「どうしてのんびり仕事をしているんだ」というような表面的な批判は覚悟の上で、本質的に価値を生み出す努力をコツコツ積み重ねていくのが研究の仕事である。

 大事なことは、経営陣や他部門の人たちに対して、日々のコミュニケーションの中で、その期待感・信頼感をもってもらえるような話をすることだ。たとえば、「今、なにを研究しているの?」と雑談で聞かれたときに、「よくぞ質問してくれました。この研究は面白いんですよ。うまくできると将来、○○という世界になるんですよ。それが私の夢です」とイキイキ語ることに尽きる。

 研究者がテーマにかける想いや将来の夢をイキイキ語り、聞いている人がワクワクする。そういう関係が築けることが期待感・信頼感の根幹なのだと思う。研究所は経営陣や他部門から、「目立たないけど、筋のよい研究をやっているんだよな」「あそこは、放っておいていい。だって、よく面白いもの出してくるから」と期待され、感心される存在であるべきだ。

 ここまで述べてきたような意味合いで、「研究所は聖域。とやかく言わずに、放っておこう」「信頼できる」「期待したい」と一目置かれる存在へとぜひ回帰していただきたい。

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