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再発見の品質!成功への静かな道

品質不適切行為の後遺症をあなどるべからず、発生する前にまず企業がすべきこととは

  • 生産・ものづくり・品質

安孫子 靖生

毎年、さまざまな品質の事件・事故が発生し後を絶たない。

 ここ20年位を振り返ってみても、何も発生していない年は存在せず、“品質不正”や“不適切行為”などといった形でなんらか新聞の1面を飾ってしまうような事件・事故は発生している。私はその度に「これは本当に発生を未然に防げなかったのか」「起きるべくして起きてしまったのか」いろいろと考えさせられてしまう。

 会社にとっては品質の失敗は大けがであり、致命的な場合もある。人間も大けがをすれば、後遺症をもたらしてしまう場合も少なくないが、品質の事件・事故の場合も、会社はかなり大きなダメージを負い、多くの後遺症をもたらしてしまう。その後遺症の怖さを会社としてしっかりと受け止めていれば、発生は未然に防げるのではないだろうか?

外部だけではない、さまざまなところで影響を残す品質不適切行為

 メディアなどで報じられれば、会社に対するバッシングもさまざまな臆測が付け加えられながら広がり、不買運動さながらの顧客の嫌悪感も想像以上のものとなる。しかもこれがなかなか消えない。月日がたって人びとの記憶が薄れかかってきても、同じような事件・事故が起きると、「昔あの会社でこんなことがあったよね」とまるで代名詞かのごとく語られ、再び記憶が呼び起こされる。後遺症として残るのは顧客からの信頼失墜だけではなく、多様なものが実際に発生している。

 そして、影響がもっとも大きいのは社員一人一人のプライドの崩壊ではないだろうか。どんな事故や事件でも、当然全社員に原因と責任があったわけではない。普段から品質を最重要視し、細心の注意をもって仕事に臨んでいる人もいて、むしろそのような人たちの方が会社の多くを占めるであろう。しかしながら、そういった努力が無になってしまったことへの失望感と、世間の厳しい目と声に耐え忍びつつ、まるで連帯責任を負わされているかのような後ろめたさを感じながら仕事をこなし、じわじわと蓄積する疲弊感から会社を去る者もでる。こんなはずではなかったと思いながら・・・。

 業績の急低下への対応もさることながら、不適切行為の防止に向けた組織編成面での改善も行われる。お客様に対応するために、また再発防止への姿勢を示す意味でも、品質保証部門の再編もかつてない規模で行われる。

 とある会社では製造現場や開発部門から多くのメンバーがみんな品質保証部門に集められ、急激な組織の変化に業務システムが馴染(なじ)まず、その影響は、品質保証業務以外にも広がり、組織が落ち着くまでに何年もかかってしまった。コンサルティング活動の中でも、品質保証部門のあり方や人員構成、品質保証に関する人材育成について見直しをご支援したりしているが、事件・事故が起きた後ではなく、起きる前にこそしっかりと議論すべきであると常々感じている。

 その他、調達先への影響も非常に大きく、全ての調達先との関係性の見直しにも迫られたり、営業活動、宣伝広報活動における一定の配慮を前提にしなければならなかったり、会社によっては長期間に亘る第三者機関による監視を受け続けるなど、多くの“後遺症”が残るのである。

品質不適切行為、防ぐために何をしているか

 では、このような品質不適切行為の予防のための対策や機能強化、体制の見直しなどに多くの企業が取り組んでいるかというと、それほど多くはないようにも感じている。世の中で問題が発生してもそれは対岸の火事なのか?決して問題がないというわけでもないようでもあり、対外の火事と見做(みな)しているわけでもないようである。JMACにて品質保証実態調査を実施したが、なんらかの懸念事項や可能性を否定できず不安を感じている企業が一定数あるという調査結果も出ている。

 改善、改革の必要性は理解されている一方で、なかなか取り組みにくいテーマであるということだろうか。確かに全社的に声を大にして「問題がある。改革が必要だ」とは言いにくいとは思うが、啓発的活動(品質意識の周知活動)にとどまってしまわないようにする必要性があると考える。意識改革が根底に必要ではあるが、目に見えるしくみの強化改善、組織の役割と責任の見直し、自浄作用が働くようなチェック活動やガバナンスなどの取り組みが、意識改革に大きく作用すると考える。

 今一度、後遺症の怖さを考え、ワーストケースも想像してみてもらいたい。お客さまにとって、そして何より自分たちの会社にとって、従業員もマネジメント層も真に安心できる絶対品質保証を考えるべきである。品質不適切行為の予防は、対象とする業務の範囲は大変広いが、無理難題な問題ではない。これらの問題に過剰におびえることはないが、「うちの会社は絶対大丈夫」と自信を持って言えるだけの根拠は持ちたい。事件・事故が起きてしまってからでは後悔してもしきれないのである。

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