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地域に根差し変革続けた220年 「脱・東京一極集中」で 地方を元気に

経営のヒント

2025.12.31

鈴与株式会社

鈴与グループ代表 代表取締役会長

鈴木 与平

鈴木 与平 氏プロフィール:1941年、静岡県生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本郵船を経て鈴与に入社。77年に代表取締役社長に就任。航空事業のフジドリームエアラインズなど新たな分野を次々と開拓し、約140社の企業グループへと成長させた。2001年、鈴与グループの創業200周年を機に8代目・鈴木与平を襲名。14年から現職。

鈴与株式会社 
設立:1936年(創業1801年)/資本金:10億円/従業員数:1,168人(2025年8月現在)/事業内容:港湾運送事業、海上運送事業、内航海運事業、自動車運送事業など

  


清水港を拠点に220年以上の歴史を誇る鈴与。海運から始まった事業は多角的に発展し、近年は航空業界にも進出した。柔軟に変化を重ねながらも貫いてきた信念とは。

ピンチをチャンスに変えて海運業から経営を多角化

大谷 鈴与の創業は、江戸時代後期の1801年(享和元年)で、鈴木会長は、創業者の播磨屋与平から代々受け継がれる名前を襲名した8代目に当たります。そして創業時から一貫して、静岡市の清水港を拠点としていますね。

鈴木 はい。創業当時の鈴与は廻船問屋でした。甲斐の国(現在の山梨県)で生産されたお米を富士川の舟運で清水港に運び、そこから大きな船に積み替え江戸に出荷していた。幕末から明治になるころにはお茶が海外に輸出されるようになり、茶どころである静岡のお茶を船で横浜に運ぶ仕事がメインになりました。

清水港波止場にあった1910年建造の鈴与商店波止場店舗

大谷 なるほど、海運が事業の柱だったんですね。

鈴木 ところが、1889年(明治22年)に東海道線が全線開通し、陸運の時代がやってきます。このままではたいへんだということで、静岡の製茶業界と私たちで政府に働きかけて、清水港を開港場に指定してもらい、静岡のお茶を直接海外へ輸出できるようにしました。清水港が国際港になったのはこのときです。

大谷 地域の発展の歴史そのものですね。製茶業界との協力など、当時から物流を通し地域産業を支える役割を果たしていたのも印象的です。物流以外にも事業を広げていったのは、どんな経緯だったのですか。

鈴木 鉄道ができたことで物流の仕事は一時減ったのですが、今度は機関車の燃料である石炭の取り扱いが大きくなった。隣の富士市で石炭を大量に使う製紙業が盛んだったこともあって、石炭問屋としては日本でも有数の存在になった。これが、現在の鈴与商事のルーツです。

大谷 鉄道の開通による海運業でのピンチを、ライバルであるはずの鉄道に石炭を販売することで成長のチャンスに変えたのですね。地元製紙業者の需要という「地の利」もしっかり踏まえている。地域に根差しながらも柔軟に新事業を生み出してきたからこそ、200年以上事業が続いてきたのだと実感します。

1929年設立の清水食品本社

入社後最初の大仕事はグループ企業の立て直し

大谷 鈴与グループはその後も陸運業や倉庫業など経営の裾野を広げ、ツナ(マグロ)缶やミカンの缶詰の海外輸出で発展した清水食品、糖尿病の治療薬であるインスリン製剤の国産化に成功した清水製薬など、グループ企業も発展していきます。鈴木会長が入社したのは大学卒業後の1967年ですが、一度、社外で経験を積まれたとうかがっています。

鈴木 はい。日本郵船に出向していました。神戸支店から始まって、最後はロンドン勤務も経験しました。一般社員と変わらない扱いで鍛えてもらって、非常に勉強になりました。

大谷 鈴与に常務として戻られたのが、1974年。ちょうど高度成長が終わったくらいの時代ですね。

鈴木 当時はオイルショックの影響でグループ自体の業績が悪化し、とくに清水食品の経営状態が悪かった。当時、社長だった父から「お前がやれ」と言われ、本格的な企業再建を担当することになりました。

大谷 経営者としての経験がない中で、いきなり難しい役割ですね。どのように切り抜けたのですか。

鈴木 清水食品は技術系に優秀な人材が多かったのですが、経営側は時代の変化に対応しきれていなかった。たとえばツナ缶は、第1次大戦後に不況になったアメリカでツナが「チキン・オブ・ザ・シー(海の鶏肉)」と言われて鶏肉の安価な代替食品として売れていたことに目をつけ、輸出用に油漬けの缶詰の製造を始めたものです。これが大当たりして清水は缶詰の一大産地となっていたのですが、為替が変動相場制になると円高の影響などで輸出は不振に陥っていました。
 それに加え、当時は会社として多くの品種を製造しすぎて、経営が散漫になっていた。食品事業は少ない品種で徹底的に勝負するべきだと考え、事業の「選択と集中」に取り組んで、採算がとれなくなっていた工場をいくつか閉鎖しました。

大谷 それはつらいお立場でもあったでしょう。

鈴木 さまざまな葛藤がありましたが、こうした経験は、今振り返ると自分にとって非常に勉強になりました。清水食品は、のちに業績を回復することができました。

地方都市を結ぶ航空会社を立ち上げた思い

大谷 1977年からはグループの中核である鈴与の社長に就任し、時代の変化に適応するためのさまざまな変革に取り組んでこられました。なかでも目を見張るのが、2008年に設立した地域航空会社・フジドリームエアラインズ(FDA)です。航空事業への進出というのは非常に大きな決断だったのではないでしょうか。

鈴木 2009年の静岡空港開港がきっかけです。大手航空会社の国内便が進出しないのではないかと言われるなか、やはり、これは応援しないといけないなと。以前から新聞社の報道用のヘリコプターやビジネスジェットを飛ばす仕事などをしていたこともあり、航空業界の知見を持っている地元企業は私たちしかいなかったというのもあります。

フジドリームエアラインズが運航する小型ジェット機

大谷 現在は、ジェット機を自社で15機保有されているそうですね。投資も巨額になりますし、反対の声もあったのではないですか。

鈴木 「無謀だ」と皆から言われました。それでも進出を決めたのは、いま使用しているブラジルのエンブラエル社の小型ジェット機と出会えたことが大きい。地方路線に最適な性能なのに加えてボーイングやエアバスの機体とほとんど変わらない乗り心地で、これならば経済的にもやっていけると判断しました。 
 おかげさまで2009年の運航開始から順調に業績を伸ばしてきて、現在は全国15都市17空港を結ぶ航空会社に発展しています。コロナ禍で大きな打撃を受けましたが、今年あたりからようやく回復してきたところです。

大谷 路線図を拝見すると静岡から札幌、松本から福岡、神戸から青森など、地方都市間を結んでいることが特徴的ですね。国内便では定番とも言える、東京と地方都市を結ぶ便は設けていない。地方同士を結びたいという思いは当初から持っていたのですか。

鈴木 やはり、東京一極集中は良くないという思いが根底にあります。地方から見た東京というのはブラックホールのように何でも吸い込んでいってしまう存在です。とくに若者たちは東京の魅力に惹きつけられて出ていってしまう。しかし、地方が疲弊して人材育成ができなくなったら、東京の繁栄も持続できないはずです。

 現在の地方と都会で、日常生活に関する経済的な格差は、それほど大きくなっていない。何が違うかといえば文化です。教育でも芸術でも格差が大きくなりすぎて、人々が都会に引き寄せられてしまう。この差を埋めるためには、地方同士がもっと交流して自分たちの文化を知り、そこに住むことにプライドを持てる環境をつくらないといけない。FDAが地方都市同士を結ぶインフラとして、少しでもお役に立てればと考えています。

地域に根差すから人が集まる プライドを持ち独自の文化を

大谷 いわゆる地方創生は政府にとっても長年の課題ではありますが、人口が減少していく中で地方の衰退を押しとどめるのは簡単ではないように思えます。地方が本当の意味で栄えるためには、何が必要なのでしょうか。

鈴木 私はやはり、その地域独自の文化を持ち続けることがカギになると考えます。都市としての機能が整ってはいても個性をなくしてしまっては、地域の活力が失われてしまう。

 たとえば京都には、本社を京都に構えてワールドワイドに展開している個性的な企業がたくさんありますよね。やはり京都には地域の文化へのプライドがあって、それが経済面でも独自の強さにつながっているように思います。

 ここ中部地方にも、静岡ではヤマハさんやスズキさん、愛知ではトヨタさんなど、地元にしっかり根を下ろしてがんばっている企業が数多くあります。そうした姿勢をお手本に、私たちも仕事をしていきたいですね。

大谷 いやいや、鈴与さんこそお手本となる企業だと思います。今の時代、地域に根を下ろしていたほうが有利だという考え方もあるのではないでしょうか。

鈴木 そうかもしれません。弊社など、東京に行ったら何の変哲もない会社です。ここ清水にいるからこそ、皆さんに大事にしてもらえて、人材も集まるのだと思います。

 静岡でも大学を卒業すると就職で東京に出ていってしまう人が多いのですが、40歳くらいになってから地元に戻ってくるという人も意外といます。そうした人たちが鈴与に中途採用で加わってくれて、それまで所属していた企業とのカルチャーミックスで良い相乗効果が生まれている例もあります。

大谷 地元に鈴与のような魅力的な会社があるからこそ、そうした人たちも働き盛りの年齢で戻ってこようと思うのかもしれませんね。地域の活力を維持するうえで、とても大きな役割を果たされていると感じます。

鈴木 地域の役に立っているとすれば、私たちの本望です。鈴与は経営の拠り所として「共生(ともいき)」を掲げています。具体的には、「個々の社会人が真に自立し、社会活動を営む中で、地域社会、顧客、取引先、そして社員同士が結びつくための精神的な基盤」を意味します。祖父の代から大切にしてきた言葉ですが、今の時代に求められていることともマッチしているのではないでしょうか。これからも地域にしっかり根を下ろしながら、世界を見据えた仕事をしていきたいと思っています。

JMAC代表取締役社長・大谷羊平と。背後の商標は「播磨屋与平」創業時に使用されていた「やまさんよ」

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』80号からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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