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人的資本の充実が企業価値を高める

第6回(最終回) ビジョン構想を通じたリーダーシップの開発

  • 人事制度・組織活性化

戸張 敬介

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 前回のコラムでは「職場の衛生管理」をテーマに取り上げた。今回は企業経営の根幹に関わり、あらたな成長に向けた変革のキーともいえる「リーダーシップ」について記す。

今、なぜ「リーダーシップ」が求められているのか

 「リーダーシップ」の研究の歴史は古く、さまざまな定義が存在するが、その語源を踏まえると「集団を目標に向かって導いていく機能」と解することができる。

 現代の企業経営においては、日本的経営の発展にも多大な影響を与えた米国の経営学者ピーター・ドラッカーが「リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立することである。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である」「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである」と述べ、リーダーシップは企業経営を支えるリーダーの役割そのものともいえる重要な概念となっている(ピーター・ドラッカー著『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社より)。

 近年、人的資本に関する情報開示のガイドラインとして、ISO30414「ヒューマンリソースマネジメント―内部および外部人的資本報告の指針」が打ち出されたが、同指針もまた「リーダーシップの質的及び持続可能性は組織の結果に強い影響を与える」として、リーダーシップの測定基準として「リーダーを特定し、開発するプロセス」に焦点を当てている。

 実際、日本国内では多くの業界が成熟化し、また情報化の進展等により、業界の垣根を越えた取り組みが次々と生じ、経営・事業の先行きが見通しづらい状況にある。経営・事業に新たな成長の方向性を見いだし、社内外の関係者の思いに大きく働き掛けていくことが求められている一方、企業で以下のような悩みをもつ企業も少なくない。

① 既存ビジネスのリニューアルや新規ビジネス開発に取り組むが、「単発の小さな活動」で終わりがちである。
② 各部門・拠点がそれぞれ努力しているが、バラバラな取り組みが多く、全社的な動きになりづらい
③ 企画立案すると「当社がやることか」「意味があるのか」との指摘が出て、実践に踏み出せない
④ 経営層は「もっと思い切った提案が欲しい」と感じているが、ミドル層から大きな動きが出てこない
⑤ 実務者層は目の前のことに忙殺され、「新しいことをやろう」といってもリスクを感じてついてこない

 これからのリーダーシップのテーマは<創造と変革>であり、経営層に限らず、企業内のあらゆる階層でのリーダーシップの発揮が求められている。リーダーシップ教育の実践に取り組む野田智義、金井壽宏両氏が共著「リーダーシップの旅 見えないものを見る」(光文社)で指摘するように、<見えないもの>を見て、その実現に向けて人々の価値観や感情に訴え、共感を得て自発的協働を促す。環境変化が著しく、創造と変革の時代を迎えているからこそ、リーダーシップは求められているのである。

ビジョン構想を通じたリーダーシップ開発

 「創造と変革」のリーダーシップのキーとなる要素に「ビジョン(将来像)」がある。米国の研究者ジョン・コッターは、ビジョンとは「将来のあるべき姿を示すもので、なぜ人材がそのような将来を築くことに努力すべきなのかを明確に、あるいは暗示的に説明を加えたもの」と定義し、「偉大なリーダーシップの発揮に中心的な役割を果たす」ものと位置付けている。

 そして、コッターは企業において変革を推進するための8段階プロセスを以下の通り示し、変革を主導し、互いの心を動かすようなビジョンを掲げ、その実現のための大胆な戦略を描くことの重要性を提起している。

① 危機意識を高める
② 変革の推進チームをつくる
③ 変革を主導するビジョンをつくる
④ 変革のビジョンを周知徹底する
⑤ メンバーの自発的な行動を促す
⑥ 短期的な成果を早期に生み出す
⑦ 変革の「波」を次々と起こす
⑧ 変革を「文化」として根付かせる

 ビジョンが日本の企業経営における主要テーマになった時期として、日本経済の成長スピードが鈍化を始め、新事業開発や多角化が課題となった1980年代(事業ドメインの拡大・転換に向けたビジョン構想)、またバブル崩壊後、日本経済が成熟化する中での新たな成長方向性が求められた1990年代後半以降がある(収益改革中心からユーザー視点で新たな価値創造を目指すためのビジョン構想)

 近年は「社会価値」の実現が新たな成長の切り口となりつつあり、2020年に発表された「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書 ~人材版伊藤レポート~」が指摘するように、「持続的な企業価値の向上が重視される中、自社が何のために存在しているのか、社会における存在意義を問い直し、改めて定義・明確化すること」が、これからの経営戦略を考えるキーとなり、経営戦略と人材戦略を連動させるポイントとなりつつある。

 例えば、セコム株式会社は、もとは「人的警備サービス」の会社として創業したが、自社や顧客の現場の悩みや困りごとに対応しながら「機械警備サービス」「保守・メンテナンス」へと事業領域を拡大してきた。1989年には社会で暮らす上で、より「安全・安心」で、「快適・便利」なシステムやサービスを創造し、それらを統合・融合させ、社会になくてはならない新しい社会システムを提供する「社会システム産業」を目指すことを宣言した。さらに、2017年に策定した「2030年ビジョン」では、「『あんしんプラットフォーム』構想の実現により、変わりゆく社会に変らぬ安心を」実現するとし、お客さま、社会、そしてパートナー企業との「つながり」から、新たなニーズに応えていく戦略を打ち出している。

 ビジョンのつくり方にも変化が生まれている。かつては経営層や中核となる部長層がトップダウンでビジョンをつくることが多かったが、近年は、経営層・部長層のバックアップの下、企業経営の次の世代を担い、またビジョンの実現活動に直接関与する「次世代メンバー」が自ら検討に関わるケースが増えてきている。

 これは、ビジョン構想を次世代のリーダーシップ開発の機会とするアプローチであり、経営の先行きが見通しづらく、トップダウンで引っ張っていくことの難しさが指摘される「VUCA」の時代において、次世代メンバーを経営に巻き込み、その「思い」をビジョンの中に取り入れ、企業経営の推進力に変える意味合いもある。

次世代メンバー主体のビジョン構想のポイント

 ビジョン構想の基本手順を大ぐくりの3ステップでまとめると、以下の通りである。

①現状における到達点と現在置かれている状況を整理する
②5~10年後の将来に向けた経営・事業の将来像を構想する
③将来像の実現に向けた全社的な活動サイクルを設計する

 次世代メンバーが中心となってプロジェクトを推進する場合、まずは誰でも語れる「現状」への見方から議論を始め、何でも気軽に話せる場をつくることが重要である。

 また、現状に制約されない新しい発想を促すための環境づくりとして、企業としての「存在意義」を言葉にすることが有効である。その切り口として、企業として新たな価値創造を実現した「創業の精神」に立ち戻り、「誰のために、どのような価値を実現してきたか」を振り返ることが次世代メンバーの「思い」を引き出すきっかけになることは多い。

 次世代メンバーが5~10年後の経営・事業の将来像を検討するためのキーとなる投げ掛けは以下の2つである。

①「将来、顧客や社会から何をする会社と評価されたいか」(企業ドメインを中心とする将来像の検討)
②「将来に向けてどんな仕事をしたいか」(事業機会"ビジネスチャンス"の探索)

 これらの2つの投げ掛けを繰り返しながら、経営・事業への発想を広げていくことになるが、実務を直接担う次世代メンバーは、ビジネスシーンを具体的に語ることが可能な②から考えた方が発想しやすい場合が多い。

企業としてどんな価値を追求していきたいか

 最初は少人数で、だんだんと人数を増やしてワークショップ形式での討議を重ね、社内のさまざまなメンバーの思いやアイデアを引き出していく。参加メンバーから出てくるものは断片的な情報・アイデアが中心となるため、それらを意味のある形で受け止め、経営・事業のテーマへと昇華させる「ファシリテーション」が求められる。

 また、自由度の高い討議であるだけに、山ほどアイデアが出たが、それらを意味のある一つの方向性としてうまくまとめられないという悩みも生じやすく、経営・事業の原理原則を踏まえた対応も必要となる。

 これらの悩みを解決するにあたって、集団での討議を始める前に、事業機会(ビジネスチャンス)探索の切り口となる視点と探索例をあらかじめ整理しておくことが有効である。

産業機器メーカー向けの作成例

 次世代メンバーによる「ワイガヤ」での自由闊達な討議を通じて、社内の実態の掘り起こしや新規ビジネスアイデアの発想へとつなげる。そして、メンバーの検討結果を用いて、経営層・部長層が「思い」を 新たに、全社的な意思形成を進めることが肝要であり、こうした世代を超えた討議の体験が、次世代のリーダーシップ開発に効果的である。

 そして、ビジョン構想がある程度、形になったら、現状とビジョンとの対比の中で、ビジョン実現のためのシナリオや、短中期で達成すべき全社的課題の推進方法の設定へと進める。

 それらを設定した後は、上記のコッターの変革の8段階ステップにある通り、「メンバーの自発的な行動を促す」「短期的な成果を早期に生み出す」ことにより、ビジョン実現に向けて新たな行動を落とし込んでいく。ビジョン構想を通じて次世代メンバーのリーダーシップを開発することが、ビジョン実現に向けた「布石」として重要な意味をもつのである。  以上、本稿では人的資本の充実に向けたテーマとして「リーダーシップ」を取り上げ、特にビジョン構想を通じたリーダーシップ開発について論じた。

 改めて、人的資本とは、人を新しい価値・物事を生み出す「資本」と捉える考え方であり、その実現には複合的な課題解決が求められる。この「人的資本の充実」シリーズでは、人的資本の充実のためには組織が自らを変えることが重要であるとし、5つのアプローチを提言してきた。

 繰り返しになるが、組織の中で責任ある立場を担う方々から現場の第一線で活躍する方々まで、自らが変わることで人的資本を充実させていくことを願って、本コラムの区切りとしたい。

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