「まさか、私が社長に!?」 売上1兆円企業を率いるまで
プライム ライフ テクノロジーズ株式会社
代表取締役社長
北野 亮 氏
北野 亮 氏プロフィール:1978年、松下電工株式会社(のちのパナソニック株式会社エコソリューションズ社)入社。25年間、家電商品を中心に商品企画に従事。その後、住宅設備・建材事業中心にキャリアを歩み、2012年にエコソリューションズ社・専務、2017年に同社・社長に就任。2020年1月より現職。
プライム ライフ テクノロジーズ株式会社
設立:2020年(令和2年)1月7日/資本金:1億円/従業員数:連結 約2万人(2022年9月時点)/事業内容:パナソニックとトヨタ⾃動⾞による「未来志向のまちづくりを⽬指す会社」として、まちづくり事業、新築請負事業、リフォーム事業、不動産流通・管理事業、住宅内装事業、建設工事請負事業、建設コンサルタント事業などを行っている。
入社したら、弱小事業部への配属。その後、上場廃止、法人消滅……。44年の人生で経験した12回の転機は「厄介で困難」ばかりだった。「稀有な一発屋」と自認する北野氏がたどった会社員人生とは。
非常時に担ぎ出される飛び道具的な存在
私は2020年に65歳でプライム ライフ テクノロジーズの代表取締役社長に就任するまで、実に11回の転機を乗り越えてきました。すべての転機は厄介で困難だったと思います。本日は、それぞれの転機で私が何を選択し、行ってきたかを紹介します。
新卒で配属されたのは松下電工の時計事業部でした。社内では最弱小の事業部と位置づけられ、5年後に「発展的解消」を迎えます(ちなみに松下電工もこの後、松下電器産業の子会社となり、法人消滅という運命を辿ります)。
部長と課長2人、先輩2人と私の計6人の部署でしたが事業縮小にあたり、私以外の全員が異動に。28歳だった私がひとりでその荷を担うことになりました。しかしこのとき「自分で考え、自分で決め、自分で行動する」ということを身につけました。従業員に対するオーナーシップ、あるいは当事者意識というものが芽生え、これがのちに大きな財産になったと思います。
次に本丸の電器事業に異動します。ここから四半世紀、家電の商品企画を担当しました。下の表でいうと①~⑤までが該当します。
20代のころから40代まで、さまざまなヒット商品を生み出しました。私の企画は本流の正統派商品というより、どちらかというと「稀有な一発屋」でキワモノに近い商品をヒットさせるもの。「ヒットを生むコツは何ですか」とよく聞かれましたが、答えは「商品をまず世に出すこと」。つまり、私が企画した商品は、10人いれば8人には反対されます。通常なら、その企画はボツになるわけですが、私は同志を募り、企画が通るやり方を考え、絶対につぶされないようにして商品を送り出しました。そして、これが「原理原則」だと知りました
さまざまな変革が求められる時代ですが、本質は一緒です。全員賛成でも全員反対でもない、意見が割れる部分、ありそうでなかったところに変革、あるいはヒットのポイントがあるのです。そして、それを進めるのは一糸乱れぬ組織プレーではなく、アジャイル(素早く、俊敏)に進めていくこと。これがヒットを生むコツであり、変革の本質だと知りました。
さて、その後は事業再編がやってきます。当時、松下電器産業は「普及率100%」の必需品を手掛けていました。一方、松下電工は、ウェルネス家電を標榜し「必欲品」を商品化していました。加えて、市場が黎明期であった空気清浄機や電気暖房機、温水洗浄便座、浄水器などは松下電器産業、松下電工、松下精工、九州松下……と、社内競合を行っていたのです。つまり、敵は他社ではなく、松下の中にあったということです。
その後、松下電工が松下電器産業の子会社になったため、「重複事業の再編作業」が始まりました。では誰がクロージングをするのか。これらの事業を熟知していて、複数の事業と渡り合える人材。かつ今、暇そうにしているやつ、ということで私が投入されたわけです。表⑥⑦にあたる時期です。
リビングライフ事業部の事業部長のときは、半年かけて事業移管を行いました。ほとんどの統合事業は1+1が2にはならず、1のままという結果に。非常に非効率な戦いをしていたということです。そして、電工側が引き受けた水事業のトップになり、部下十数名を連れ、九州松下の水事業の本拠地に乗り込みました。
事業もマネジメントもシンプル化に徹する
私は30年間、家電、水事業に在籍していましたが、ある日突然、売り上げ4000億の、まったく未知の事業のトップを任命されました。松下電工のハウジング(住建)事業です。
当時、松下電工は照明と住建という、売り上げが巨大な2大事業がありましたが、住建事業は常に低収益あるいは赤字。会社にとって最大の課題事業でした。エース級の人材を次々と社長に据えても収益が上がらない中で、なぜか小規模な事業経験しかない、まったくの門外漢である私にお鉢が回ってきたのです。
入ってみると、生い立ちの異なる7つの事業部(キッチン、バス、洗面・トイレ、フローリング、内装建具、雨どい、屋根・壁)に7人のトップ、7通りのマネジメントが並列していました。さらに、それぞれに子会社と工場が紐づけられている状態。そこで私は、水回りで一つの事業部、内装建材系で一つの事業部、加えてその子会社である製造会社も一つにまとめるという、シンプル化に着手しました。またPDCAがまったく回っていなかったため、きっちりと言語を統一して共通のマネジメントを行い、PDCAを回すという極めて当たり前のことも実施。さらに、各事業のトップには、若くて優秀、なおかつ生え抜きでない別の人材を当てました。
マネジメントの方法も実にシンプルです。下の図にあるように、直近の目標を達成するための「筋肉質化の課題」と「成長戦略の課題」。それから将来に向けて今仕込むべき「筋肉質化の課題」と「成長戦略の課題」。この4象限にすべての課題と戦略を落とし込みました。
とくに、将来に向けて今仕込むべきことを共通課題とします。ハウジング事業の当時の状態は昨日までのツケを返すだけの業務に追われる状態で、それを断ち切る必要がありました。実は、ハウジングのトップになったときに、前社長に「北野君は家電の企画屋として今まで面白いことをやってきた。しかしマネジメントが下手だし、構造改革に長けていないので、そこを注意しなさい」と言われました。結果的に、指摘されたところを注意して取り組んだ結果、4年間で約200億の利益改善が。このマネジメント手法は、現在の会社でも取り入れています。
次はライティング事業です。当時、松下電工の2大事業は照明と住建でしたが、決して混ざることのない「水」と「油」。このころ、松下電工の上場が廃止され、法人が解消し、カンパニー制に移行し、照明事業が再編されることになりました。市場は急激なLED化が進んでおり、事業環境は一変していました。しかし、機器系は依然として住宅用、施設用、店舗用、屋外用と分かれており、そこに各製造の子会社がついている状態。さらに、事業統合されたため幹部の数が2倍に。会社側はその頭数を見て、どこの箱にどの事業を収めるかという発想でした。しかし、私は真逆のやり方をしました。まず戦略があり、箱に分ける。それを遂行できる最適任者をリーダーに据える。これにより、効率よく拠点の統廃合もできたのです。ここでの任期は3年でしたが、これらの手立てを打つことで、照明事業は私が離れるころには収益がしっかりと回復しました。
いよいよ終盤です。ある日、社長に呼ばれてAVCネットワークス社の副社長を任命されました。パナソニック本流のNo.2です。ミッションは3カ月で構造改革案を固め、それをパナソニックの取締役会で決議を終えるというもの。当時、AVCカンパニーは10の事業部がありましたが9つの事業部はすべて赤字。そこで、9つの事業部を「今稼いでいる、いない、将来稼げそう、稼げそうにない」の4象限に分けました。今も将来も稼がないものはすべてやめる。今稼いでいて将来も見込みがあるものは精緻に吟味。また、カンパニーを超えた事業の組み替えなども行い、2年で5%の利益を達成しました。
そしてパナソニックでの最後です。AVCネットワークス社ではミッションを達成し、1年で異動に。最後は松下電工の事業をもっとも色濃く残したエコソリューションズ社の社長です。松下電工を祖とすれば初代が丹羽正治でしたから、私は11代目の社長に就任することになったのです。
経営者の情熱と熱意を 部下は見ている
エコソリューションズ社では、ミッション・ビジョン、事業領域を再定義して、時代への構えの明確化に最大注力。ベターライフを家、町、社会に広げていく、人を起点に暮らしをよりよく快適にするカンパニーになるための再整備に取り組みました。お客さまと直接向き合う「元請け型の事業」を、「暮らし創造事業」と再定義し、社名もライフソリューションズ社に変更しました。
人生は「あみだくじみたいなもの」だと考えます。松下電工に入社することは自分の意思で決めました。それ以降は、自分の意思で線を加えたことは一度もありません。与えられた次の線に沿って都度向き合って、逃げずにそれをこなしてきただけ。しかし、12回目の転機だけは自分で線を引きました。
プライム ライフ テクノロジーズはパナソニックホームズ、トヨタホーム、ミサワホームの住宅3社と、建設エンジニアリング、松村組の建設2社で構成された2020年に設立した会社です。フェーズ1では、まず稼ぐ力を強める。次に事業ポートフォリオを変革する、あるいは新しいビジネスモデルをつくる。最終的にミッション・ビジョンを完全に体現するという刻み方で事業を進めています。
私は、下の図にあるピラミッドの4層が経営者として必要な能力だと考えています。経営者になると、悪い話が圧倒的に多いでしょう。その中で、心折れずに希望を持ち続けるのは、ベースとして必要だと思います。そして変化の激しい時代、本質を見切る能力、そして共感を与える能力、人を生かす能力。これらの4つが揃うと、鬼に金棒です。さらに、何度転機が訪れても、意識していたのは「驕らず・媚びず・染まらず・浮かず」ということ。そして、トップとしての情熱と熱意を持つことです。部下はそのパッションを必ず見ていますから。
「トップのあり方を学びました」(JMAC代表取締役社長・小澤勇夫)
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』75号からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。
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