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IT業界の先駆者が実践する、「絞らない」マネジメント
~失敗してもいい、最高のものをつくり出せ~

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役会長 兼 CEO 鈴木 幸一 氏

株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)は、 1992年 株式会社インターネットイニシアティブ企画 として創立。インターネット接続サービスの提供、ネッ トワーク・システムの構築などを中心に行っている。創業者で代表取締役会長兼CEOの鈴木 幸一氏は、日本初の商用インターネットサービス開始後、先進的技術を国内外に発信し続けてきた。先駆者ゆえのご苦労、人を育て共に夢を実現することへの思いをお伺いした。

勉強に明け暮れた日本能率協会時代

鈴木:鈴木会長は、約40年前一般社団法人日本能率協会 (以下JMA)に在籍されていた我々の大先輩です。在籍中の経験から得られたことや、当時のインターネットへの思いなどお聞かせください。

IIJ鈴木:JMAには、26歳から35歳までの約9年間在籍しました。早稲田大学卒業後、「EDP開発員募集」という新聞の求人広告を見て応募したのですが、IE(インダストリアル・エンジニアリング:科学的管理法)なんて聞いたこ とがないわけです。JMAは「勉強は自分でするもの」という社風でしたから、資料室に籠もって専門書を読みあさり、夜学に通って生産管理の基本を身に付けたり、とにかく猛勉強しました。その知識を元に、電機や自動車など全国500ヶ所以上の工場の支援を行いました。  

一方で、経営や技術開発にも興味を持ち、社外の若手幹部との勉強会を主宰するなど、JMAではとにかく自由に、いろいろなことを勉強させてもらいました。 インターネットとの出逢いは、学生のころに読んだアメ リカの雑誌でしたが、「コンピュータで通信ができる」と初めて知ったときは衝撃的でしたね。その頃、海外の通信社やコンピュータ関連書籍の下訳のアルバイトをし ていましたので、パソコンやインターネットの情報に触れる機会が多く、「これからは必ずインターネットの時 代が来る」と確信していました。

私財を投げ打って規制と闘った日々

鈴木:鈴木会長は1992年に株式会社インターネットイニシアティブ企画(現:IIJ)を立ち上げられました。 当時、日本ではまだインターネット市場はあまり認知されていなかったので、先駆者として相当なご苦労があっ たのではないでしょうか。

IIJ鈴木:インターネットサービスを開始するにあたり、 郵政省(現:総務省)の認可が必要でしたが、認可がおりるまでに1年3ヶ月もの期間が掛かりました。当時は今と違い、通信といったインフラの整備は国の管理・監督の下ですべきという時代でしたから、日本で最初に商用インターネットサービスを始めたようとした我々は異質の存在だったのです。

サービスを開始できない中でも、なんとかインターネッ トを立ち上げたいと会社に残ってくれた社員には、私財から給料を支払い続けました。金策に奔走し、許認可申請を 巡って郵政省と折衝を重ねる中、1993年12月ついに私財も 底をつき、自己破産の危機に直面しました。しかし、そのときの私には「諦める」という考えは微塵もありませんで した。インターネットは必ず普及するという確信と、なん とかやり遂げようと、意地になったのです。先行するアメリカを見て、このままでは日本が世界に置いていかれるのではないかという危機感もありました。  

一刻の猶予もない中で、1994年の年明け、行政訴訟も 辞さない覚悟で郵政省幹部に直談判に行ったのです。そして翌2月にようやく認可を得て、3月からインター ネットサービスを本格的に開始することができました。

先駆者として アメリカの背中を追う!

鈴木:サービス開始後、次々と国内初のサービスを市場に投入し、さらにはアジア地域やアメリカでも独自のサービスを確立していかれました。当時の市場の背景や状況についてお聞かせください。

IIJ鈴木:当時、アメリカのインターネットユーザーはすでに1千万人を超えましたから、どんどんアメリカの背中が遠くなっていました。  

一方で、国内初となる我々のインターネットサービスに理解を示してくれる企業はなかなかいません。アメリ カではいいものがあればすぐに使い始めますが、日本ではいいものであっても誰かが使っていないと使い始めよ うとしないのです。ですから、まずは大手企業に導入実績をつくり、それを足掛かりに国内市場を広げていきま した。実績ができると一気に顧客が広がって、サービスが定着していきました。日本では、早すぎる事業はユー ザーの理解を得にくいため、地道な努力で信頼を得てい くことが必要でした。  

国内事業が軌道に乗り始めてからは、アジア地域やアメ リカにも活動の場を広げていきました。当時、世界のインターネット回線はすべてアメリカに集約されていたため、 「アジア地域独自のバックボーンをつくろう」とアジア各国に訴えて回り、1995年11月にアジア地域をつなぐ国際イ ンターネットバックボーン(A-Bone)の構築を実現しまし た。これで、アジア地域のインターネット環境は大きく変わったのです。1997年にはアメリカでのプロバイダー事業 を開始し、1999年にはNASDAQに上場するなど、国内外への技術発信を積極的に続けていきました。

夢に向かうマインドが脈々と受け継がれている

鈴木:1996年当時に私も御社の支援をさせていただきましたが、厳しいけれど自由闊達で、技術者の思いを発揮できる、 そんな社風を感じたことを覚えています。まさに今、イン ターネットならIIJと言われるようになった、その原点とも言える当時の思いをお聞かせください。

IIJ鈴木:当時「これは大きな技術革新で、自分達が先導 していくものなんだ」という思いがとても強く、それがエンジニアのモチベーションにもなっていたと思います。まだ収入のあてもなかったころから、「アメリカに負けたくない」なんて大きなことも考えていました。  

また、よく社員を自宅に呼んでご飯を食べさせていまし たね。テーブルは段ボールでカーテンもない部屋でしたが、エンジニアたちと飲みながら、新しいことに向うのが楽しくて仕方がなかった。その思いと技術は脈々と受け継がれ、今のIIJのベースになっていると思います。  

その後、会社が大きくなり、現在はグループ全体で2800名を超えましたが、社員数が700名位までは、全員の 給与を個別に面談して決めていました。一人ひとりを大切に育てたいという思いから、個人の力量をきちんと見 てあげることが重要だと思うからです。

IIJ流 技術者育成 「濡れぞうきんは絞るな」

鈴木:インターネットの技術革新に熱い思いを注いできた鈴木会長ですが、環境変化の激しいIT業界で先駆者でありつづけるポイントがあればお聞かせください。

IIJ鈴木:1996年までは独占状態でサービスを続けていま したが、その後、次々と大企業がサービスに参入してき て、国内のライバルが一気に増えました。そうなると大企業を相手に我々が唯一勝てるのは「技術力」ですから、なによりも技術者の育成に力を入れてきました。併せて、利用人口を増やすことで、インターネットの普及を加速したいという思いから、接続サービスを始めるためのベースとなる技術は競争相手になる企業にも提供しました。  

技術者の育成に関しては、「濡れぞうきんは絞るな」という方針のもと、無駄を覚悟でいろいろな経験をさせ、一人ひとりの才能や適正を見て育てています。これは若い頃にお会いしたホンダの創業者・本田宗一郎さんの教えです。コストを切詰めるために(ぞうきんを)ぎゅうぎゅう絞るのではなく、研究開発費をしっかりと確保し、「失敗 してもいい、そこから最高のものを創っていきなさい」 と、失敗を恐れずにチャレンジし続けることの大切さを伝えてきました。新しいものを創りだしていくことは技術者のプライドになり、それは成長の糧となります。

現在は「毎年、売れるサービスを必ず2、3出すように」といった課題も与えています。毎年新しいサービスを出し続けるのは非常に大変なことですが、20億円のサービスを毎年2、3出し続ければ40~60億円になり、それが将来100億円に成長することもある。そういうことを一生懸命やり続けることが事業の継続・拡大につながっていきます。そして、事業化の手ごたえが技術者の「他社にないサービスを他社に先駆けて創り出そう」という モチベーションにもつながるのです。

顧客ニーズをつかみ技術とのギャップを埋める

鈴木:技術が強い、技術者集団のIIJさんですが、今後の課題と思われていることがあればお聞かせください。

IIJ鈴木:技術が強いとプロダクトアウトになり顧客ニーズとのギャップが生じやすいので、ここをどう埋めるかが一番の課題です。技術者が絶対にいけると思ったサー ビスでも、営業がそのすべてを顧客に伝え切ることが難 しく、3、4年売れないということもままあるのです。そのため、技術者が顧客のニーズを知る、一方で営業が技術を知る方法として、ジョブ・ローテーションを模索しています。

また、開発スピードも大きな課題です。例えば、最近はネットワーク技術も自動化されていますから、トラブルがあっても「ここが原因なんだろうな」という勘が働 いたり、トラブルの中身を分析できる若手エンジニアが 減ってきています。皮膚感覚がなくなっているのです。 コンピュータに慣れ親しんできた世代ですから、新しいものをつくり出すことは得意ですが、トラブルが発生すると検証に時間がかかり、結果として開発期間が延びて しまうのです。  

そして、技術には目利きが必要ですが、中堅エンジニ アは経験を積んで目利きではあるけれど、経験が多い 分、新しい技術やサービスに対してネガティブリストが先に出てしまう。今売れているものを変えたがらず、新しいものにチャレンジすることに臆病になりがちです。 そのあたりをどう打破していくかも今後の課題です。  

私は今でも現場とのコミュニケーションを密に取って いますから、意思決定は早いですし、決めたら社員を呼んで直接GOサインを出すことが多々あります。そうしたコミュニケーションの中で、社員が自ら考えて行動 し、課題を解決する糸口を見つけていって欲しいと期待しています。

社員一人ひとりをしっかり見ることの大切さ

鈴木:最後に、鈴木会長から次世代を担うトップ、経営幹部の方へ向けたメッセージをお願いします。

IIJ鈴木:最近は、2~4年といった短期思考に偏りがちですが、自分の置かれたポジションを長い目で見通さないといけません。長期と短期、両方の視点を持つことが大切だと思います。  

これは人を育てるうえでも同じで、短期的に業績を上げる社員ばかりに目が行きがちですが、大器晩成型の社 員をゆっくり育ててあげることも大切です。弊社では、思い入れがある開発は最後までやり遂げさせます。たとえ失敗しても、時間が掛かっても、その分、社員が伸びてくれればいいのです。  

そして意図的に、いい経験の場を作ってあげることも重要です。若い社員を海外に出してあげると必ず伸びて帰ってきます。そういった経験の場を作ることも重要です。経営者には我慢し、そして待つことが必要とされて いるのです。  

弊社は外資系企業などに転職していった社員が「やっぱりIIJで働きたい」と戻ってくる「出戻り社員」が不思議と多い。一度、外を見た経験も大切ですから、「うちは外資ほど給料高くないぞ、それでもいいのか」などと言いながら、その成長ぶりに期待して受け入れます。そうした懐の深さも、ときには必要なのではないでしょうか。  

次世代のリーダーには、「社員一人ひとりをしっかり見てあげる」、そのまなざしと長期短期の視点を大切に してほしいですね。そして、自分が「これだ」と思ったものに対しては心血を注ぎ、最後まであきらめずに挑戦する。それを達成したときの深い喜びをぜひ経験してほしいと思います。

【対談を終えて】鈴木 亨のひとこと

日本の商用インターネットを牽引してきた鈴木会長のインタビューでは、鈴木会長のインターネットに対する熱い思いと志が伝わってきました。この熱い想いと志が様々な障害を乗り越えてきた原動力であると革新しました。またIIJが事業を大きく発展できたのは、最後まであきらめずに挑戦するこだわりや、現場と密度の高いコミュニケーションを会長自ら実践した賜物であると認識しました。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.56からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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