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社員の意識と組織の変革で閉ざされた会社を開国へ導く
~ニーズは身近なところにあり。「気づき」こそさらなる飛躍の鍵だ~

森下仁丹株式会社
代表取締役社長 駒村 純一 氏

本年、創業120 周年を迎える森下仁丹は、今や「シームレスカプセル」に代表される最先端技術企業として、年商約100 億に達する優良企業だ。しかし、駒村社長が入社した頃には市場からやむなく退場という瀬戸際にまで追いつめられていた。古い企業体質や従業員の意識をいかに改革し、企業再生を図ったのか。そのプロセスや今後の戦略について駒村社長にお聞きした。

過去の経験に引き寄せられた森下仁丹への道

鈴木: 2003 年、経営危機的な状況の中、駒村社長は森下仁丹へ入社されました。まずはそれまでの経緯についてお話しいただきたいと思います。

駒村:私は元々三菱商事で、スペシャリティケミカル、いわゆる精密化学品の分野で輸出主体の業務に従事していました。70 年代後半から80 年代にかけ、オイルショック等を契機に「商社の冬の時代」が到来し、商社もいわゆるコーディネーターの役割から自らリスクを取り、事業投資をしていく方向に舵を切ったんです。私もその流れに乗って、イタリアでスペシャリティケミカル分野のある事業会社を買収。さらに96 年からその会社の事業規模拡大に伴い、現地で実際に経営に携わることとなり、そこでフッ素化の技術においては世界トップクラスに持ち上げるまでに至りました。

 そんな中、イタリアでの赴任の年限があける2003 年頃、商社を取り巻く環境はさらに変化し、資源やITや流通関連が主流の時代になっていました。スペシャリティ分野で生きてきた私にとっては、総合商社という枠組みの中でこの先の自らの将来を考えた時、これまでの経験をより活かせる分野にチャレンジしたいという思いが勝り帰任を待たず辞表を出したんです。時を同じくして、森下仁丹で経営立て直しのため人を探しているという話が私に舞い込みました。それが私と森下仁丹との出会いです。

挫けない強さを育んだイタリアでの事業経験

鈴木:大阪の老舗オーナー企業へ単身で乗り込んでいく。そういう面で不安はなかったですか?

駒村:当時の私にはそういう思いは全くありませんでした。それはイタリアでの事業経験で鍛えられた耐性があったことが大きいでしょう。そこでの相手は大半が外国人。社員はラテン系気質の人々です。仕事はイタリア国内に留まらず、世界的なマーケットに対応して、多種多様な国籍の人を相手にするのがルーティンワークでした。ですから、日本的な価値観やモラルでは判断できない事の方がはるかに多く、厳しい経営環境で挫けない強さと折れない柔軟性が
育まれたんだと思います。

私がイタリアで買収した企業を経営するときも、自分がオーナーの気概で経営にあたりました。相手がオーナーだからと言って構えたり引いたりするのではなく、自然体で飛び込めたのではないかと思います。分野は異なりますが、その時の経験が森下仁丹の企業規模、売上高から見てどこか通ずる点が多かったことも、同社へ思い切って飛び込んだ理由のひとつかもしれません。

閉ざされた組織は窮地に立たされていた!

鈴木:実際に森下仁丹へ入られて様々な違いに驚きも感じられたかと思います。当時の状況についてお聞かせください。

駒村:いざ森下仁丹に入ってみると、とにかく大変な状況にありました。会社の中で社員は皆、一つひとつの点の集合体。どういうことかと言うと、つながりある線や組織という面を作っているわけでもなく、社員という点がポツポツ点在して、ところどころでいくつかの小さな集まりを作っているような状況でした。IT 環境に例えると、まさにLAN、Local Area Network のような感じです。
 外に対しては鎖国状態。結局は森下仁丹の過去のやり方やブランドへの過信が強く、いいモノを作れば放っておいても売れるだろうという感覚から抜け切れていなかったんです。
 その上、自分達の会社を拡大しよう、企業を大きく育てようという意識も希薄でした。そんなことをするよりも、今までやってきたことを踏襲し、これまで通りのんびりやっていれば、当時の業績くらいは維持できるとどこか考えていたように見えました。
 しかし、その考えはもはや通用しなくなっていました。私の入社時点で多額の損失計上が懸念され、一つ間違えると債務超過を起こして市場から退場してもおかしくない瀬戸際の状況だったんです。ですが、社員は皆危機感など感じていなかった。というより、会社の真の実態を理解していなかったのです。

自分の常識は非常識!?気づきを持てば視野は広がる

鈴木:変革の過程で、土台となる社員の意識改革、組織風土改革に取り組まれたと思います。その仕掛けやご苦労などについてお聞かせください。

駒村:社員研修やセミナーなどを実施しましたが、そういう教育は殆んど機能しませんでした。当時はとにかく事なかれ主義で日々楽しく仕事ができさえすればいいという状態でした。ですから、学習意欲が湧いて来ない。そこで、できるだけ多くの社員と話をする場を設けました。自分の業務に関するケーススタディーです。最初の頃は、週に1、2度夕方10 人前後に集まってもらい、気楽にフリートーキングの場を設けました。といっても、しゃべるのはほとんど私だけの状態でした。なぜなら自分の思っていることを多くの人の前で表現するという経験をほとんどの人がもっていなかったからです。だから逆にこちらが質問を用意して、まるでインタビューでもするかのように、私が質問しては聞き出すということを繰り返しました。

まさに暖簾に腕押し。孤立感を強く感じながら、それでも挫けず2年以上の歳月を費やしたんです。その過程で、違う世界を見てきた中途採用者が徐々に増えていき、彼らを中心にだんだん会話が弾むようになりました。転職歴のある彼らが新しい風を吹き込むことで、閉ざされた環境にいた社員達も、もしかするとこれまでの自分の常識は非常識で、外の常識は違うのではと感じるきっかけになったんです。

もう一つは「気づき」です。当時の社員は物事を点では見られるのですが、その周辺に関連するヒントや可能性、活用できる要素があるのにそれを見つけ出す意欲に欠けていたんです。そこで、とにかく雑学でもなんでもよい、様々な物事に興味をもってもらい、そこにある情報が少しでも仕事に関連すればいいからと、常日頃から「気づき」をもってもらうように促しました。要は常に好奇心を持ち、身の回りの情報に、もしかしたら商品のニーズがあるかもしれないという疑いの目やアンテナを張り、視野を広げてもらえるような取組みを始めたのです。そんな気づきが結果に繋がるに連れて、社員の視野が徐々に拡がって行きました。

もちろん、どんな仕掛けをしても、全く響かず変わらない人がいるのも事実です。だからそういう人に対しては、具体的にそのポジションで必要なことを上げ、ある時点がきた時にそれが達成できなければ、ポジションを替わってもらいました。そうして結果的に若い人がそのポジションに就くようになっていったのです。あの時点では変われない人が組織の中枢を占めると改革はできません。一方で無秩序に変わればよいと言う訳でもなく、変われなかった人達にも適所が存在したのです。そこのパワーバランスを上手く使うことも組織改革には不可欠なのです。

自社の技術をマーケットへどんどん打ち出せ

鈴木:御社の技術力をマーケットにどんどん発信していくことにも重きを置かれていますね。またSNS でも自社ページをFacebook で設け、そこで多くの社員を登場させるなど、外向きの発信に重点を置かれています。どのような視点や意図をお持ちでしょうか?

駒村:これまで展示会では自社商品のPR が中心で、たとえばこういう技術を持っていますというアピールはしてこなかったんです。今オープンにしている白蟻の擬似卵や、レアメタルを回収するシームレスカプセルの技術についても、国内外の展示会に多数出展し、広告やニュースリリースもどんどん出して、弊社はこういう特許も取得しましたという情報を積極的に打ち出しました。そういう地道な活動を通し、メディアからも注目を浴びるようになりました。

展示会はどうしてもB to B 中心です。業界では知られていても、消費者向けになると、まだ古いあの「仁丹」だけをやっている会社と思われがちなんです。だからメディアへ積極的に打ち出すことで、こういう技術を生かしたB to C の製品であったり、弊社が今どういう風にヘルスケア分野の中で変わっていっているのかを盛り込んでもらい、徐々に森下仁丹が変わってきたという印象を消費者の方に持ってもらえるようになりました。

飛躍のカギはニッチとソリューション型ビジネスにあり

鈴木:社長ご就任から今年で7 年目を迎えられます。ここまで企業改革を押し進められ、業績面でも売上高約100 億に達するまでに成長されました。ここからさらに企業として飛躍されるために、今後の御社の戦略、方向性についてどのようにお考えですか?

駒村:ステレオタイプや追従型ビジネスでは勝機はありません。やはりターゲットとなるのはニッチです。隙間を見ていく、つまり市場の中の穴ぼこだったり谷間だったり、ニーズがあるにも関わらずシーズがないというところを攻めたいですね。それを満たす材がないというものが日本にも、海外にもまだ残っているのが実情です。言い方を変えれば、問題を解決するソリューション型ビジネスを展開したい。

たとえば、弊社はジェネリック医薬品を数品もっていますが、まだできるのではないかと。ここでシームレスカプセルに結びつくわけです。他社がやっている剤型を追従しても二番煎じにすぎません。また、バイオ医薬やワクチンにおいても、包むという技術は今後非常に重要になってくるでしょう。

シームレスカプセルは仁丹の将来を担う技術です。まだ業績面でそれほど飛躍している訳ではなく、プロセスの途中ではありますが、産業用用途への展開を視野に、いくつか事業の具体化ができてきたところです。シームレスカプセルはナノやマイクロカプセルと違い、目に見えるものですよね。形状的にも技術的にも超先端の技術ではないにしても、目に見えるという点である種の安心感がある。また、ばらつきなく均一の粒を自動で作るのは想像以上に難しいのです。そういう物性面でのメリットを優位性として捉えて、あとは既存の技術や手法に対し、競争力を持ちつつ、それに適した用途をしっかりつくりあげることが重要だと考えています。

過去に囚われるな。必要なのは「自分流」

鈴木:それでは最後に、Business Insights の読者層に向け、これまでの駒村社長のご経験をふまえ、これからの日本企業の経営者、経営幹部のあるべき姿についてお聞かせていただきたいと思います。

駒村:よく日本では「タイプ別社長」のように、経営者を分類したようなものを目にしますよね。
私は先人の踏襲であったり、過去の経営者モデルに捉われる必要はないと思うんです。これからの経営者は「自分流スタイル」をつくることが大切。たとえば昨今のTPP 問題にしても、市場や構造など取り巻く経営環境が変われば、それに伴い価値観も変わるわけです。だからもっと外に目を向け、身の回りや世界では何が起きているのか、常にアンテナを張り情報収集に励んで、分析・判断する力がトップには必要になってくるのです。

そして、あたり前のことですが、経営者は世界中の現場を自ら知ることが重要です。ともすれば国内での評価が高まると動きが鈍りそこに安住しがちです。よく日本のトップは外向性に欠けると言われていますが、言葉の壁などを理由にせず、もっとディプロマティックに相手とコミュニケーションをとって、情報を自ら取りに行こうとする姿勢と行動力が大切です。

今の経営者は、先人の踏襲、真似だけでは到底やっていけない時代。目を外に向けて、色々な情報を収集し、分析し、何より求められるのは「自分流スタイル」だと思います。但し、周囲から支持されない「自(利)己流スタイル」ではいけないので、視野を広くもって自分研鑽に努めたいと思います。

【対談を終えて】鈴木 亨のひこと

会社の風土や社員のマインドを変えるためのポイント、それは「気づき」であると駒村社長は仰っています。「気づき」を如何に仕掛けていくか。社内に対するインパクト、社外に対するアピール等、ポイントとなるお話をお伺いしました。
今回、何よりも重要なことは、トップも含めて社員全員が過去に囚われない行動を起こす事であると改めて認識しました。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.49からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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