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戦略なくして勝利なし
~何がV字回復を可能にしたか?~

2006年8月25日

株式会社小松製作所 取締役常務執行役員 鈴木 康夫氏
改革を行うとき、「最も重要なものは何か」と問われれば、私は迷わず「戦略である」とお答えしている。それは、私が事業改革の推進役を引き受け、なんとかV字回復という成果につなげることができた体験から得た実感である。コマツグループは、建設・鉱山機械、産業用機械・車両、エレクトロニクスなどの事業を展開する企業グループである。99年1月、私はコマツグループの中の板金・鍛圧事業を行う「コマツ産機」の改革タスクフォース活動のリーダーに指名された。

「負け」の認識の欠如

「コマツ産機」は、コマツのプレス機械事業約80年の長い経験と技術を母体に94年に分離独立、人員削減などの合理化努力を続けながらも、赤字体質から脱却することができない状況だった。競合他社は80年代には20%近い利益率を上げ、バブル崩壊後も着実に利益を出し続けていた。そうした中にあって、コマツ産機はシェアを落し赤字体質から脱却できないでいた。改革プロジェクトは98年の12月にスタート。翌年の1月終わり、私が改革プロジェクトのチームリーダーに指名されたとき、残された時間は2カ月しかなかった。

改革を進めるにはトップの決断が不可欠である。そのためには、トップを説得するだけの綿密な分析が欠かせない。若手を中心とした専従メンバー4名、非専従メンバー6名の部下とともに、現状をとことん分析した上での、強烈な反省を踏まえた改革シナリオの立案に取り掛かった。

実態を調べてみると現実は厳しいものだった。商品は悪くなかったが、「お客様にとっての儲け」を説明する視点がなく、コスト競争だけに終始していた。営業が総花的な開発を求めたため、開発に時間がかかり、売れるものも売れない状態だった。

94年に分離独立することで、開発・生産・販売の一気通貫した体制をつくろうとしたはずなのに、複雑化した組織の壁が大きく立ちはだかっていた。プロジェクト型で組まれた商品別の開発リーダーには権限がなく、失敗したときの責任だけを押し付けられていた。最悪だったのは、数百億円もの赤字を抱えながらも危機感を全く持っていなかったことだ。誰に聞いても、「うまくいっている」と言うのである。当事者に「負け」の認識がなくては、現状を変えようという意欲が湧いてこないのも当然である。

背水の陣で全社一丸に

99年4月、我々が提示した事業改革シナリオは取締役会で承認された。「2年で回復しなければ会社は売却する」と当時の社長はマスコミにも公言していた。文字どおり背水の陣である。

まず、社員、協力企業、代理店に改革シナリオを説明するために全国を行脚し、危機感の共有と進むべき方向のベクトル合わせを行った。人事の一新、そして開発・生産・販売・アフターサービスまでの一気通貫で収益性を確保するための新体制をスタートさせた。

全社員を集め丸一日かけて全員集会を開くというしかけもつくった。そうした中で、各部門が現状の問題点を理解し、社員一人ひとりが自分たちがなすべきことを真剣に考え取り組む姿勢が生まれてきた。開発は、自社の技術の特長を絞り込んでお客様の視点でお客様が儲かる商品づくりに専念するようになり、33カ月かかっていた新商品の開発期間は8カ月に短縮された。営業は一人商店主というスローガンのもと活性化をはかり、アフターサービスも収益確保に向けて大きく意識変換していた。

新体制スタートから6ヶ月たった99年12月、受注損益が黒字に転換。翌年度には、9年ぶりの年間黒字化を達成する。その後コマツ産機は2005年度まで6年連続で増収増益を続けている。

「改革」は、皆で納得して皆でやり遂げなければ成功しない。データ・事実に裏打ちされた強烈な反省論、これを打開するわかり易い勝ち戦のシナリオ、具体的なビジネスプランへの落とし込み、トップ自らが自分の言葉でわかり易く繰り返し説明することが重要である。そして今回、改革の成功の要因として経営トップの後押しと気骨な人事を追加したい。親会社の力強いサポートとコミットメント、従来の慣習にとらわれない気骨のある人材の登用がなければもっと苦しい意戦いになっていた。とにかく[改革」を信じ、愚直に最後までやり遂げることである。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.18からの転載です。

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