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「進化」と「実行」を携えて
~V字回復を成し遂げた良品計画の経営改革~

株式会社良品計画
代表取締役会長  松井忠三氏

良品計画は1989年6月創業の比較的新しい会社である。オイルショック後、高度成長が終わり、流通各社こぞってノーブランド商品を投入したが苦戦していた時代だった。当時のノーブランド商品は、「安かろう、悪かろう」の印象が強かった。「質販店」という戦略を掲げた西友が、各社より少し遅れて、立ち上げたのが「無印良品」である。 基本コンセプトは「わけあって安い」。素材の見直し、工程の点検、包装の簡略化を柱とし、品質の保持にこだわり、成熟化のニーズを先取りしたものだった。「無印良品」のデビューは、衝撃的な反響を呼んだ。

絶頂からどん底へ

当初、売上高245億円、経常利益1億円だったこのビジネスは、10年後の90年には、売上高1050億円、経常利益は136億円という急成長を遂げていた。製造小売業(SPA)の先駆けだった。91年には海外出店を開始、物流事業へも参入し、95年には株式公開に至る。「脱セゾン化」をはかり、直営店・フランチャイズ店を増やしていった。83年に青山に出店した1号直営店は、1年の予算をわずか1カ月で達成した。

順風満帆なすべり出しであったが、慢心の陰には必ず落とし穴が待ち受ける。2000年に初減益、翌01年には当期利益はゼロとなった。2000年の2月に1万7000円を超えていた株価は、1年後2750円になっていた。私が社長に就任したのは、まさにどん底の01年1月だった。

マスコミなどでは、「無印の時代は終わった」と言われた。日本の専門店で一度凋落して復活した例はない、と。10年間の急成長で競合他社は一斉に研究を始めていた。しかし、我々は「無印はこれでいい」と自信満々で独りよがりの仕事を続けていた。

取締役会では定例の議題しか流れず、稟議書には承認印が7つも8つも押してあった。経営責任の所在が曖昧となり、衣料品の売上が落ち込めば、衣料品の部長が悪いとなる。衣料品の部長は3年間で5人交代した。そんなことで立ち直れるはずもなかった。店の売上は企業総力の結果の現れであり、落ち込みの大きな原因は、ブランドの弱体化(コンセプトの希薄化)、戦略の間違い(急速な拡大政策)といった経営そのものにあったのだ。

計画5%、実行95%が組織の足腰を鍛える

社長になって私は改めて店舗を回ってみた。1年前の売れ残りが、段ボールにつめこまれて店舗に溢れていた。不良在庫は38億円にのぼっていた。捨てようにも膨大な量である。就任2カ月後の3月12日、焼却を決断。売価にして90億円となる商品が灰になっていくところを、私は社員とともに見届けた。2年後の03年、衣料品在庫は18億円となり、季節在庫はゼロになった。04年には、差益率は過去最高の47%になった。調達構造は変えず、在庫コントロールで達成した成果だった。

品質の問題もあった。02年、新聞で謹告掲載を6回も行っていた。企業体質や製造工程に問題があった。この年から全社を挙げてこの品質問題に対応した結果、5年後の'07下期にはクレーム数が'02年下期の17%に減少した。さまざまな改革実行の積み重ねにより、2005年には過去最高益を達成できた。

我々が続けてきたのは、日々の「進化」と「実行」である。もはや時代適合では生き残れない。顧客も環境も決してひとところにとどまることはない。「進化」とは、勝てる仕組みづくりであり、それを実現するためには「実行力」が必要だ。計画を書くことに多大のエネルギーを費やしていたのでは、現場はくさり、足腰は弱くなる。計画5%、実行95%を社内で徹底させていった。

経営にまぐれはない。どれほど頑張ってもよい結果が得られる保証はないが、やらなければ勝つことはない。優先順位をつけて、やるべきことを繰り返しやるだけだ。常に改善し続ける事なくして経営は成り立たず、やるべきことは日々の現場の業務のなかにある。「今日は明日のごとく、明日は今日のごとく」を続けるのではなく、毎日革新する中から、必ず光が見えてくる。つねに現場の第一線で先頭に立つ。今、経営に求められているのは、そうした姿勢ではあるまいか。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.38 からの転載です。

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