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本当にイノベーションは「チャレンジ」なのか? イノベーションテーマ探索のための思考方法

コラム

2026.01.27

思考の牢獄「1階の住人」と、AC5階層モデルによる視座の解放

研究開発(R&D)部門の活性化を支援する中で、私は長年「研究者のチャレンジ精神をいかに呼び覚ますか」をテーマに掲げてきた。しかし、最近ある反省に至った。それは「チャレンジせよ」という言葉自体が、問題解決の解像度を上げる努力を阻んでいたのではないか、という疑念である。

Youtuberでピアニストの角野氏はAIの分野で修士号を獲得している。そのまま企業でAI研究者を続けていく道ではなく、ピアニストの道を選択したことについて、多くの人から「チャレンジをした」と言われるそうだが、自身ではそうではなく「確信を持てるようになってから選択している」のだそうだ。その話を聞いたときに、研究者らしい理系らしい決断の仕方を感じたのである。チャレンジに見えるものも、要素分解をしていけば研究者らしい思考で解決できるのではないか。

そこで改めて、これまでイノベーションを実現した技術者の事例を分析すると、そこには共通の思考プロセスがあるように思う。それを体系化したのが、思考を5つの階層で捉える「AC5階層モデル」である。

以下に、除雪機の例と合わせて示した。

思考のエレベーター:AC5階層モデル

階層 名称 除雪機における具体例
5F 価値(Value) 「安全・円滑な移動」といった、存在意義そのもの
冬場でも人や物が安全・円滑に移動できる状態を維持する
4F 戦略(Strategy) 「路面の雪を排除する」といった、目的達成の方針
路面から積雪を排除する(または雪の影響を無効化する)
3F 機能(Function) 「削る、飛ばす」といった、必要な働き
雪を削り取り、別の場所へ高速で投射する
2F 機構(Mechanism) 「螺旋刃、エンジン」といった、具体的な仕組み
ガソリンエンジン稼働の金属製オーガ(螺旋刃)とブロワ
1F 設計(Detail) 「回転数、材質、寸法」といった、詳細な仕様
刃の材質(鋼材)、回転数(rpm)、エンジンの排気量・トルク

多くのエンジニアは、日々の業務のほとんどを「1F:設計層」と「2F:機構層」で過ごしている。もちろん、1階の部屋で壁紙を貼り替えるような地道な改善も重要だ。

しかし、専門性が高まり、その部屋の居心地が良くなればなるほど、技術者は「優れた螺旋刃を作ること」自体が目的であると錯覚し始める。 停滞を突破するチャレンジとは、単なる精神論ではない。勇気を持って「1階の扉」を閉め、最上階である「5F:価値」まで一気にエレベーターを駆け上がることだ。

屋上から課題の全景を鳥瞰したとき、初めて技術者は、自分が守り続けてきた「1階の部屋」が、広大な解決策という地図のほんの一区画に過ぎなかった事実に直面するのである。

「屋上」からの水平展開——ダイソンが証明した原理原則への回帰

私が提唱するこの「AC思考」の真骨頂は、単に「5F:価値」へ遡るだけでなく、そこから「別の階段」を通って再び1Fへと降りてくる往復運動、すなわち「ACループ」にある。これまで私が見てきた成功する開発事例は、そのすべてがこのループで説明できると言っても過言ではない。

その象徴が、ジェームズ・ダイソンの扇風機だ。従来の開発が「羽根の形状(2F)」を競っていた際、彼は5Fの価値である「不快感のない、スムーズな風の体験」へと視座を引き上げた。そして「羽根で空気を切り刻む」という3Fの機能を捨て、流体力学という物理原則に基づく「空気を誘導し、巻き込む」という全く別の3Fへと水平展開したのである。

イノベーションのU字カーブ:ACループ

イノベーションのU字カーブ

この「一旦抽象化して別のルートを探る」プロセスにおいて、技術者が持つべき強力な武器は、自らの専門性という檻を超えた「物理・原理原則への立ち返り」だ。例えば除雪機の課題を「4F:戦略」まで引き上げたとき、「雪を物理的に移動させる」以外にも、「相転移(熱で溶かす)」「界面制御(滑雪)」といった、多様なアプローチが選択肢として浮上する。

ここでの水平展開は、単なる思いつきのアイデア出しではない。

上位概念に基づいた「論理的な別解の探索」である。1Fという特定の技術の檻から解放されたエンジニアは、物理学や材料工学、ITといった全方位の知識を「5Fの価値」のために総動員し始める。このジャンプこそが、非連続なイノベーションを創出する唯一の道となるのだ。

自社OSとしてのAC思考——「価値の創造者」へと変化する技術者育成

AC思考の類似の思考として、クリティカルシンキングやラテラルシンキングなどがある。もちろん近しい部分は大いにあるが、AC思考の特徴は、具体と抽象の往復運動であること、かつ価値のレベルから設計のレベルまでを同じ思考体系に位置付けることによって、R&Dのどのような業務に置いても、常に思考強化できることを意図して整理している。

では、このAC思考をいかにしてR&D部門の組織OSとして実装すべきか。それは、組織全体の「問いの立て方」を再定義する文化の醸成に他ならない。

組織文化の変容:精神論から具体的行動へ

組織文化の変容

まず、社内のコミュニケーションにおいて「階層の指定」を意識してみてほしい。設計会議で行き詰まった際、幹部やリーダーは「今は1Fの話をしているのか、それとも4Fの話か?」と問いかけるべきだ。若手が細部に固執しているならば、「一度5Fに上がり、顧客が本当に得たい価値から今の設計を捉え直してみよう」と導く。共通言語として「AC5階層」を導入することで、組織全体の視座が同期され、議論の解像度は格段に上がる。

次に、この思考法を定着させるための「強制的な異分野融合」の場を設けることも有効だ。異なる専門領域の技術者を混成させ、「ACループ」を回すワークショップを行う。自分の専門領域(1F)を一度抽象化し、他者の知見を5Fの価値の下で統合する体験は、技術者に「自分は部品を作っているのではなく、価値を創っているのだ」という強い当事者意識を芽生えさせる。

もちろん、水平展開をしていくときに、本当に次の部屋が見つかるのかわからない、という点で納期が決められない、チャレンジ性があるという点でイノベーションはチャレンジである、という点に変わりはない。

しかし、ここまで調べた・考えた、という軌跡が残っていけば、次に何をやるべきなのか、ということが思考できると思う。少なくとも自社にAC思考を取り入れることは、技術者を「仕様書の実行者」から「価値の定義者」へとアップグレードすることに等しい。

1Fでの着実な具体化を疎かにせず、かつ5Fからの鳥瞰を忘れないようにすることはできる。このエレベーターを全社員が使いこなせるようになったとき、組織は競合が模倣できない独自の価値提供、すなわち真のイノベーションを次々と生み出す集団へと進化するはずである。

大﨑 真奈美

R&Dコンサルティング事業本部
チーフ・コンサルタント

技術者・研究者の企画力向上や、R&D組織革新の支援に従事している。最近は、技術者・研究者の心に火をともすことをミッションとしており、「火おこし」役として日々実践・研究をしている。2児の母。カウンセラー資格を持っている。

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