お問い合わせ

従業員と共に歩む、企業再生と経営改革
~民事再生を乗り越え、歴史あるベンチャー企業へ~

富士車輌株式会社
代表取締役社長 津田 弘史氏

富士車輌は、1925年、鍛圧機械メーカーとして創業した。現在は、環境装置・環境プラント事業、塵芥車を中心とした特装車事業、圧力容器を中心とした化工機事業の三事業とこれらのメンテナンスサービス事業を展開している。私が招聘され社長に就任したのは、今から4年前の2003年6月。民事再生手続きが認められた1年後だった。

一歩一歩着実に成果をあげる

やるべきことは、山ほどあった。ひとつは、バランス・シートの健全化である。民事再生手続きでは、一般債権は法の力によってカットしていただけるが、担保付債権は適応外となる。当社の場合、担保付債権がかなりあり債権者との協議が纏まらず、日本では適用例が少ない担保権消滅請求を行った。これが認められ、いくつかの事業を畳み、土地を処分するなどして借金を返済し、自己資本比率60%弱で事実上無借金の会社にした。

同時に、本業の赤字を黒字に転換すべく、原価管理システムの構築を急いだ。ピンポイントでコストが把握できなければ、コストダウンはできない。1年がかりでデータを蓄積し、ようやく04年度の下期からシステムが動き始めた。04年度の下期が黒字となり、05年度は通期で黒字となった。06年度は利益のアップを目指し、07年度は売上、利益共に大幅な回復を見込んでいる。このように、一歩一歩着実に成果をあげていくことで、会社に実力がつき、後戻りのない本当の再建が果たせるのだと思う。

会社は"人"がすべて

結局、会社とは"人"がすべてだと思う。物も金も大事だが、物や金を生み出すのも人なのだ。「会社の中に、元気のいい人をつくろう」と私は考えた。人事制度をつくり直し、若手の抜擢を行い、評価が上がれば給与、賞与もあがっていくようなしくみもつくった。私のモットーは、「執念・誠意・数字」の三つである。
道を開いていくのは、熱意というより、思い定めたことに喰らいついていく執念だ。そうした社員がいれば、その執念は周りに広がり、会社が甦る大きな原動力となっていく。そして、会社がよくなっていることを、数字で全社員に逐次伝える。

原価の把握も推移が見えてくることで、自然と原価を下げるように意識し始める。それが、また大きな力となる。
私がやってきたことは、当たり前のことばかりである。大事なことは当たり前のことをキチンと実行することだ。それには、現場の中に入って、身体で感じ、社員の目線に立つことが必要なのだと思う。

05年、黒字が見えてきたとき、支援を受けていたNPF(野村プリンシパル・ファイナンス)が、事業会社への株式の売却の検討に入った。そのとき、私の頭をよぎったのは「一生懸命、頑張ってきた社員たちに報いたい」という思いだった。
民事再生に陥ったのは、経営不在の結果だった。親会社から次々とトップがやってきて、数年すれば代わっていく。そうした体制で、責任ある継続的な経営が失われていた。そのツケを背負って、ここまで苦しい思いをさせて付いてきてくれた社員たちがいる。その社員たちに、また同じような思いをさせたくなかった。
そこで、協議の末に行き着いたのが、MEBO(management employee buy-out)である。社長と役員と従業員で、会社の株を三分の一ずつ持ち合い、従業員と一体となって経営をやっていこうというものだ。
こうして当社は、再建の第一ステップを終え、今、第二のステップに入っている。民事再生を契機に、悪しきものを切り捨てて、歴史あるベンチャー企業へ生まれ変わる。環境に直結する事業であるという強み、オンリーワンの製品をもつという強みを活かしながら、みんなで会社をつくっていくという面白みと一生懸命頑張って利益を出せば自分たちの元に配当という形で戻ってくるというやりがいによって、"上場"という第三のステップに向けて、全社一丸となって新たな歴史をつくっていきたい。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.22 からの転載です。

経営のヒントトップ