
21世紀はナレッジワーカーの時代である。そして、ナレッジマネジメントの推進は、文字どおりマネジメントの仕事である。前回に引き続き、現在ナレッジマネジメントが陥っている隘路について考察し、そこから抜け出すヒントを紹介する。
「知識を登録しろ」ではなく「困りごとを集めよう」
グループウェアやウェブといった知識・情報共有化に必要なツールはここ数年で高度に発達し、もはやインフラツールの不備は、ナレッジマネジメント推進上の大きな課題ではなくなりつつある。トップマネジメントの要請により、情報システム部門が外部のシステムベンダーを利用して「ナレッジマネジメントシステム」を構築している会社も多いだろう。しかるべきツールを導入した。あとはコンテンツを入れるだけという段階までは、どの会社でも比較的容易に到達できる。
しかし、問題はその先にある。「ツールは整備したので、あとは現場で知識・情報を入力してください」ということで、情報システム部門の手を離れたが、肝心の知識や情報がなかなか登録されない――そのようなジレンマに陥ってはいないだろうか。情報システム部門や各部門のナレッジマネジメント推進者が情報の入力を促しても、日常業務で忙しい現場の担当者は一向に手を動かしてくれない。
数年前のように、「操作方法がよくわからない」というリテラシーに問題があるならまだしも、日常的に大量のメールをやりとりしたりパソコンを使いこなしている人が、DB(データベース)への情報入力をしてくれないということなのである。
問題の根源は別のところにあると考えられる。知識・情報が登録されない理由を現場の人に聞いてみると、おもしろいことがわかる。「私が苦労して獲得したノウハウや、がんばってつくった資料を、どうしてほかの人に出さなければいけないんだ」という積極的な知識提供拒否派は、実はそれほど多くない。もちろん、いないわけではないが、実はこういう層は少数派なのだ。
知識・情報を入力しない人の多くは、「どういう情報を登録していいのかわからないので入力していないだけだ」と言う。これはアンケート調査から一目瞭然の事実である。ナレッジマネジメントに対して反対している人は、実際にはそれほど多くない。また、反対派の彼らは、単に自分が有している知識・情報が実はほかの人にとって役立つということに気づいていないため、その有用性を実感できていないということも多い。
彼らは、組織に貢献できるチャンスを逸しているのである。ところで、ここには隘路に陥っているナレッジマネジメントの活路を開くためのヒントがある。知識・情報を有している人に、活躍のチャンスを具体的に教えればよいのだ。ツールが入ったからといって、「さあ皆さん、いまから情報を入れてください」と言うだけでは、進め方としては乱暴すぎる。まずは「困っていることを集めよう」というところから始めるべきである。
たとえば「プリンタドライバーのインストール方法がわからない」というような小さな問題から、技術的な問題の解決策まで、日常の仕事には多種多様な、誰かの知識があると助かるというシーンは多い。それをまず具体的に拾い出すことが重要である。そして、その問題が上がってきたところで、それぞれに対して役立つ知識を持っている人を探し出し、その人に「あなたの知識で人を助けることができます。あなたは知識で組織に貢献できるのです」ということを伝えていく。ここに、ナレッジスタッフの役割を担うスタッフがいれば、こうした活動を進めるうえで強力な推進力となる(図表1)。

モノの流通において商社が果たしてきたようなマーケットリサーチや購買などの機能を、知識社会においては知識そのものについて行うことになる。ナレッジスタッフは、知識・情報の商社であり、卸業者であり、小売業者なのである。つまりナレッジのブローカー、ミドルマン、ホウルセラーであると役割を解釈するのが正しい。最初にマーケットリサーチを行い、次にバイイングトリップをするということになる。結果的に形式としては、Q&Aデータベースをつくるということになるが、実際はQ&AのDBの器だけつくって終わりになってしまっているケースが多い。大事なのは、最初に確実に困りごとを集めるステップを行うということである。
蓄積されたなかから、有効な知識を際立たせる
前回述べた2段階DB法や、上記の困りごとから集める方法を使うなどして、知識・情報が大量に提供されるようになると、今度は別の問題が表面化してくる。「情報量が多すぎて、適切な情報が見つけにくい」という問題である。ナレッジコントリビューター(知識提供者)としては、DBの情報すべてに一律の品質レベルを期待されると、提供する際の障害となってしまう。提供できる知識のなかには、内容に相当の自信があるものと、恐る恐る提供するものとがある。こうした情報に対して一律に品質を期待されてしまうと、情報を出しにくくなってしまう。
「あなたがDBに登録した情報を信じたら失敗した。どうしてくれるんだ」と言われようものなら、二度と登録しなくなってしまう。また、困りごとをDBに登録する際に、それは「大至急教えてほしい」ことなのか、「いつでもいいから時間があるときに教えてほしい」ことなのかというような情報も必要となる。一方、ナレッジユーザー(知識利用者)からすると、DBに提供されている知識・情報について、ほかの人の評価や感想を知りたい。高い評価を得ている知識・情報であればそれだけで「見てみよう」という気にさせるものである。この課題を解決するための工夫を盛り込んでいくことで、「情報が多すぎて、適切な情報が見つけにくい」問題への解決案が見出せる。
すなわち、ナレッジコントリビューターは、提供する知識・情報に対する自信度を、また、登録する困りごとにはその困り具合と緊急度というような情報を合わせて登録する。一方、ナレッジユーザーは、利用した知識・情報について、たとえばその満足度のようなものを評価して、情報に付加していく。実際にミシュランのホテルやレストランの評価をまねて、三つ星、二つ星、一つ星というようなグレーディングをしている会社もある。このような場合はコメントをつけるようにして、ナレッジコントリビューターに対する感謝の気持ちを伝えることはたいへん重要である。中途半端なインセンティブに頼るより、「ありがとう」というひと言がナレッジコントリビューターにとって嬉しく、「また知識を提供しよう」というインセンティブになることも多いのだ(図表2)。

また、組織内で一目おかれているようなベテランが、DBの情報に対して「これはいい」とコメントすることで、提供した若手スタッフが多くの人に注目されるということもある。何もコメントがなければ埋もれてしまいかねない情報が、こういうコメント一つによって浮かび上がってくる。このように、ナレッジマネジメントにおいては、ナレッジユーザーが、知識・情報を評価しながら、多くの知識・情報のなかからすぐれたものを際立たせていく仕組みが重要になる。
革新の推進者の心構え
ここまで述べてきたように、ナレッジマネジメントというのは、情報システムを入れるだけでは不十分で、その後のさまざまな工夫や仕掛けが重要である。いくらかの“手間”をかけないことには、なかなか革新はうまくいかない。では、革新を推進する立場にある人間は、どのような心構えを持てばよいのであろうか。繰り返しになるが、人間系の意識の革新がナレッジメントの本質である。図表3に示すように、変革においては、変わることに前向きな人間もいれば、保守的な人間もいる。革新を進めるうえでは、保守的な人をいかに説得するかを考えるよりも、前向きな人を中心に変革の波を起こし、様子見の人びとを前向きな態度に変えていくほうがよい。ナレッジマネジメントを推進する人をナレッジスタッフと呼ぶならば、図表3のように、ナレッジスタッフは、変革に対して早期に賛同してくれるアーリーアダプター(初期採用者)を仲間に巻き込むことにエネルギーの大半を使えばよい。

この人たちにイズムをトランスフォームできれば、あとは様子見の人びとにも革新はじわじわと広がっていく。保守的な人間も態度と行動を変えざるをえなくなる。数年前には、eメールに反対していた人も、いまではeメールを使うようになっている。一過性ではない本当の変革というものは、ゆっくりだが、確実に変わるという特性を持つ。ナレッジマネジメントもまさに同じと考えられる。ただし、ここで注意すべきことは、単に保守的であるだけの人間を、かたくなな反対派にしないようにすることである。革新を急ぐと、「絶対に協力なんかするものか」という強硬な反対派をつくりかねない。ナレッジマネジメントの革新は、劇的な短編小説ではない。一見、昨日とは変わり映えのしない日々が続いているが、3年経ったときに振り返ると確かに変わっていたというような連続ドラマ的な物語であると認識しておくとよい。
いまこそ、KM魂の伝道者の登場を
ナレッジマネジメントを推進していくなかで、「日常の業務に追われて、やらなければと思いながら、なかなか知識・情報提供ができない」という声をしばしば聞く。そこには、悪気などまったくなく、また忙しい実態をみれば、そのように言いたくなる気持ちも痛いほどわかる。しかし、ナレッジマネジメントは、意識変革である。個々人の従来の価値観の一部を変えていくことである。“できない理由”という人の気持ちは汲みつつも、それでもなお「ナレッジは重要」ということを言い続けていく必要がある。いま「QCDが重要」ということに疑問を挟む人はほとんどいない。それはかつて日本が「安かろう、悪かろう」と言われていたころから、品質が大事、納期(スピード)が大事というイズムを先人が説き、実践してきたことによる。「品質が重要なので、納期は遅れます」というような一見正当な“できない理由”を喝破してきたことで、今日があるのだ。
現在、ナレッジマネジメント推進者は、少々遠慮がちに「時間があるときでよいから、知識を残してね」と言うことが多い。これではなかなかナレッジは蓄積されていかない。必要なものは、ツールや方法論に加えて、ナレッジマネジメント魂の伝道者なのである。少々うっとうしいと思われようと、知識創造のための対話を促し、ときに侃々諤々の議論をし、ナレッジ化を促進するような人材が重要なのだ。実際、こういう役を買って出る人びとが、各社に現れ始めている。
ナレッジマネジメントの成功物語をテーマにした書籍や雑誌記事を目にする機会が増えたが、そこには必ずそのような伝道者が登場している(図表4)。ナレッジマネジメントを情報システム導入としてではなく、意識変革と捉えること。現場近くにイズムの伝道者がいるところは、ナレッジマネジメントで成果を得る日も近い。じわじわとした意識変革によって、気づいたときには、みんながナレッジワーカーとなっているだろう。

本コラムは、日本能率協会発行『JMAマネジメントレビュー( 2001年4月号および5月号)』掲載の「ナレッジマネジメント成功への鍵〈下〉知的生産性ナレッジマネジメントからナレッジクリエイティブマネジメントへ ナレッジマネジメント成功への鍵」からの転載です。
塚松 一也
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R&Dコンサルティング事業本部
シニア・コンサルタント
R&Dの現場で研究者・技術者集団を対象に、ナレッジマネジメントやプロジェクトマネジメントなどの改善を支援。変えることに本気なクライアントのセコンドとして、魅力的なありたい姿を真摯に構想し、現場の組織能力を信じて働きかけ、じっくりと変革を促すコンサルティングスタイルがモットー。ていねいな説明、わかりやすい資料づくりをこころがけている。
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