ビジネスインサイツ80号

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木会長が入社したのは大学卒業後の
ループ企業も発展していきます。鈴
国産化に成功した清水製薬など、グ
大谷 経営者としての経験がない中
で、いきなり難しい役割ですね。ど
建を担当することになりました。
がやれ ﹂と言われ、本格的な企業再
年 で す が、 一 度、 社 外 で
漫になっていた。食品事業は少ない
それに加え、当時は会社として多
くの品種を製造しすぎて、経営が散
いました。
大谷 現在は、ジェット機を自社で
機保有されているそうですね。投
なかったというのもあります。
持っている地元企業は私たちしかい
スジェットを飛ばす仕事などをして
いたこともあり、航空業界の知見を
品種で徹底的に勝負するべきだと考
鈴木 さまざまな 藤がありました
が、こうした経験は、今振り返ると
大谷 それはつらいお立場でもあっ
たでしょう。
場をいくつか閉鎖しました。
んで、採算がとれなくなっていた工
性能なのに加えてボーイングやエア
たことが大きい。地方路線に最適な
ラエル社の小型ジェット機と出会え
鈴木
﹁ 無謀だ ﹂と皆から言われま
した。それでも進出を決めたのは、
あったのではないですか。
資も巨額になりますし、反対の声も
え、事業の﹁ 選択と集中 ﹂に取り組
自分にとって非常に勉強になりまし
代の変化に適応するためのさまざま
︶です。
して売れていたことに目をつけ、輸
と言われて鶏肉の安価な代替食品と
内便が進出しないのではないかと言
年の静岡空港開港
鈴木
がきっかけです。大手航空会社の国
うか。
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やっていけると判断しました。
年の運航
おかげさまで
開始から順調に業績を伸ばしてき
り 心 地 で、こ れ な ら ば 経 済 的 に も
いま使用しているブラジルのエンブ
た。清水食品は、のちに業績を回復
バスの機体とほとんど変わらない乗
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することができました。
地方都市を結ぶ航空会社を
立ち上げた思い
のように切り抜けたのですか。
年に設立した地域航空会社・フジド
なかでも目を見張るのが、
大谷
年からはグループの
中核である鈴与の社長に就任し、時
鈴木 清水食品は技術系に優秀な人
材が多かったのですが、経営側は時
経験を積まれたとうかがっていま
代の変化に対応しきれていなかっ
リームエアラインズ︵
な変革に取り組んでこられました。
鈴木 はい。日本郵船に出向してい
ました。神戸支店から始まって、最
た。たとえばツナ缶は、第 次大戦
出用に油漬けの缶詰の製造を始めた
航空事業への進出というのは非常に
ものです。これが大当たりして清水
われるなか、やはり、これは応援し
一般社員と変わらない扱いで鍛えて
長が終わったくらいの時代ですね。
は缶詰の一大産地となっていたので
ないといけないなと。以前から新聞
大きな決断だったのではないでしょ
鈴木 当時はオイルショックの影響
でグループ自体の業績が悪化し、と
すが、為替が変動相場制になると円
大谷 鈴与に常務として戻られたの
年。 ち ょ う ど 高 度 成
が、
くに清水食品の経営状態が悪かっ
社の報道用のヘリコプターやビジネ
後に不況になったアメリカでツナが
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す。
後はロンドン勤務も経験しました。
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(上)
清水港波止場にあった1910年建造の鈴与商店波止場店舗
( 現在の鈴与の前身)
。
( 下 )1929年設立の清水食品本社
高の影響などで輸出は不振に陥って
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﹂
もらって、
非常に勉強になりました。 ﹁チキン・オブ・ザ・シー︵ 海の鶏肉 ︶
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た。当時、社長だった父から﹁お前
フジドリームエアラインズが運航する小型ジェット機
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Vol.80
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