ビジネスインサイツ80号

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- T O P
ピンチをチャンスに変えて
海運業から経営を多角化
大谷 鈴与の創業は、江戸時代後期
年︵ 享和元年 ︶で、鈴木
の製茶業界と私たちで政府に働きか
て き た か ら こ そ、
しながらも柔軟に新事業を生み出し
年以上事
けて、清水港を開港場に指定しても
らい、静岡のお茶を直接海外へ輸出
できるようにしました。清水港が国
際港になったのはこのときです。
業が続いてきたのだと実感します。
ツナ︵マグロ︶缶やミカンの缶詰の
大谷 鈴与グループはその後も陸運
業や倉庫業など経営の裾野を広げ、
入社後最初の大仕事は
グループ企業の立て直し
から物流を通し地域産業を支える役
海外輸出で発展した清水食品、糖尿
会 長 は、創 業 者の 播 磨 屋 与 平 か ら
の
割を果たしていたのも印象的です。
大谷 地域の発展の歴史そのもので
すね。製茶業界との協力など、当時
代目に当たります。そして創業時か
物流以外にも事業を広げていったの
代々受け継がれる名前を襲名した
ら一貫して、静岡市の清水港を拠点
としていますね。
運で清水港に運び、そこから大きな
県 ︶で生産されたお米を富士川の舟
大量に使う製紙業が盛んだったこと
大きくなった。隣の富士市で石炭を
関車の燃料である石炭の取り扱いが
鈴木 鉄道ができたことで物流の仕
事は一時減ったのですが、今度は機
港湾運送事業、海上運送事業、
内航海運事業、自動車運送事業
など
病の治療薬であるインスリン製剤の
船に積み替え江戸に出荷していた。
もあって、石炭問屋としては日本で
1,168人(2025年8月現在)
事業内容
は、どんな経緯だったのですか。
幕末から明治になるころにはお茶が
従業員数
鈴木 はい。創業当時の鈴与は廻船
問屋でした。甲斐の国︵ 現在の山梨
海外に輸出されるようになり、茶ど
在の鈴与商事のルーツです。
も有数の存在になった。これが、現
運ぶ仕事がメインになりました。
大谷 鉄道の開通による海運業での
ピンチを、ライバルであるはずの鉄
ころである静岡のお茶を船で横浜に
大 谷 な る ほ ど、 海 運 が 事 業 の 柱
だったんですね。
チャンスに変えたのですね。地元製
紙業者の需要という﹁ 地の利 ﹂も
道に石炭を販売することで成長の
年︵ 明治
鈴木 ところが、
年 ︶に東海道線が全線開通し、陸
運の時代がやってきます。このまま
しっかり踏まえている。地域に根差
[ 鈴与株式会社 ]
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10億円
資本金
1936年(創業1801年)
設立
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ではたいへんだということで、静岡
Business Insights Vol.80
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I N
YOHEI SUZUKI
地域に根差し変革続けた220年
「 脱・東京一極集中」で
地方を元気に
清水港を拠点に220年以上の歴史を誇る鈴与。海運から始まった事業は多角的に発展し、
近年は航空業界にも進出した。柔軟に変化を重ねながらも貫いてきた信念とは。
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