ビジネスインサイツ80号

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- SEIBAN
C ONSULT ING C A SE 5
た ﹂︱︱そう過去を振り返るのは、
わってしまうと危機感を持ちまし
﹁このままでは本当にブランドが終
日々で、経営学修士︵
︶も取
の商品開発を担当するなど充実した
トリーへ入社した。在職中はビール
率良く、セイバンでは他のカラーの
しては赤と黒だけをつくった方が効
様化が徐々に浸透。しかし製造元と
取締役社長の泉貴章さん。
ランドセル製造大手・セイバン代表
ほしいと頼まれ、
病を患った正義さんから後を継いで
得。
家業を継ぐつもりはなかったが、
これらの変化への対応を試行錯誤
年 月に
し て い た 矢 先、
商品製造の遅延もあったという。
年 月、
﹁ 天使のはね ﹂で広く知られ、トッ
かつては老舗ゆえの古い体制に縛ら
プクラスのシェアを誇る同社だが、
の
そのころはプリントを
ファイルで持ち運ぶのが日常的にな
セイバンに入社した。
し、改革の舵取りを担うことに。
ずか
正義さんが急逝。その翌月、入社わ
カ月の泉さんが社長に就任
れ、
時代の変化に追いつけずにいた。
サ ン ト リ ー 時 代 の 友 人 か ら﹃ ザ・
﹁どうしようかと迷っていたとき、
年に
泉さんの曽祖父が
創業したセイバンは、第二次世界大
戦後、兵庫県内の工場で本格的にラ
品は在庫が余る事態となっていた。
える中、コンパクトなセイバンの商
中。
﹁ 脱ゆとり教育 ﹂で教科書も増
いサイズのランドセルに人気が集
場した大手流通スーパーが売る大き
する視点が示され、これだと。それ
約理論を通じ、
〝 全体最適 〟を重視
の流れを妨げる要因 ︶に注目する制
た。本にはボトルネック︵ 業務全体
ゴール﹄という書籍を紹介されまし
ンセプトにしたのです ﹂
︵ 泉さん ︶
で流れの悪いところを集中的に改善
し、全体の流れを良くすることをコ
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パーが 色展開を始め、カラーの多
れてきたので理解できなかったのだ
という流通体制をとっていた。卸問
どの卸問屋を介して小売業者へ卸す
んには確固たる信念があった。
か ﹂という声が飛んだ。しかし泉さ
生産数を半分に絞ると売り上げも
下がり、幹部からは﹁ 会社を潰す気
と思います ﹂
︵ 泉さん ︶
屋は﹁ 天使のはねは売れるから ﹂と
が良くないのは前職のサントリーで
﹁つくりすぎて在庫を余らせること
まず取り組んだのが生産数の調整
と流通構造の変革だ。当時は 社ほ
大量注文してくれたのだが、実際は
で も 学 び ま し た。 ま ず
ブランド価値を守ろうと指示。
だが、
を抱いた泉さんは生産数を抑制し、
ドがダメになってしまう ﹂と危機感
﹁このままでは、育ててきたブラン
注文に頼っていてはお客さまのニー
どん前倒しになっていた。卸問屋の
市場の変化は速く、商品にはデザ
イン性が求められ、購入時期もどん
とを徹底しました ﹂
︵ 泉さん ︶
は売れるものを必要なだけつくるこ
も、
現場からは反発の声が上がった。﹁先
には値下げして叩き売る状態に。
販売不振で在庫過多となり、最終的
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大ヒットした﹁天使のはね﹂
に
押し寄せた苦境の波
り、従来のランドセルには入れにく
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いという声が増えていた。そこに登
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生き残りをかけて泉さんが主導した
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大胆かつ的確な改革を振り返る。
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色が定
また、かつては黒と赤の
年に同スー
番 だ っ た が、
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代のころは、とにかくつくれと言わ
ランドセルの製造過程では、今も手作業が欠かせない
M
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A
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工場に併設された直営店で笑顔を見せる代表取締役社長・
泉貴章さん
ンドセル製造を始めた。
代目社長の正義さ
泉さんの父で
んは﹁ 背負いやすさ ﹂を追求し、軽
年代に入る
と、体感重量を軽くするために肩ベ
量 化 に 尽 力。
ルトの付け根に樹脂パーツを内蔵し
てベルトを立ち上げ、肩や背中に密
着 さ せ る 仕 組 み を 開 発 し た。こ の
パーツが羽の形に似ていたことから
効果もあり、大ヒット商品に。
年 に 販 売 開 始。 テ レ ビ
誕生したランドセル﹁ 天使のはね ﹂
は
年生まれの泉さ
一 方、
んは大阪大学工学部で生物工学科を
年、 サ ン
Business Insights Vol.80
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専攻。大学院では微生物について研
究 し、 卒 業 後 の
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