ビジネスインサイツ53

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飽くなきチャレンジとベンチャースピリットで画期的製品を生み出す
ビジネス成果に向けて JMACが支援した 企業事例をご紹介します。
自動車技術を生かした 製品開発で社会的課題に挑む
株式会社デンソー
我々が日頃よく目にするQRコード。実はデンソーが 開発したものだとご存知だろうか。同社は業界ナンバ ー1のシェア部品を誇る大手自動車部品サプライヤー だ。しかし近年、これまで培った高度な自動車技術を 生かした新規事業の取組みにも注力し、社会的な課題 解決に向け、画期的な製品を生み出している。今回は そのような同社の「新規事業」に対する考え方や取組 み事例、将来展望についてお話をおうかがいした。
技術企画部 担当部長
沼澤 成男
Shigeo Numazawa
歴史はモーターと 板金から始まった
デンソーは1949年、トヨタ自動車工業から電装品およ びラジエーター部門を分離独立させ、日本電装株式会社 として設立された。現在は先進的な自動車技術、システ ム、製品を自動車メーカーへ提供する世界有数の自動車 部品サプライヤーとして、世界35カ国以上の国や地域で 事業展開している。2013年度の連結売上高は4兆959億 円、グループ総従業員数はおよそ14万人に上る。 まさしく大企業の同社であるが、トヨタ自動車から分離
独立した当時は企業規模も小さかった。「この頃当社は モーターと板金 を中心とする技術しかなく、主体と なっていたのは、オルタネーターやラジエーターといった 製品でした。不況のあおりを受ける中、従業員を養ってい くためにと、洗濯機やラジオまで作っていたこともありま した」と語るのは、技術企画部担当部長 沼澤成男氏だ。 そのような時代背景の下、1953年に同社に転機が訪れ た。事業分野の拡大を視野に、ドイツのロバート・ボッ シュ社と電装品に関する技術提携契約を締結したのであ る。自動車部品サプライヤーとして世界一の地位を誇る ボッシュ社は、まさにお手本とする企業だ。当時から電 動工具や電気冷蔵庫、テレビといった生活消費財も手が
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けるボッシュ社では、現在さらに自動車、非自動車事業 の売上割合を5:5にすることも標榜しており、それは今 も同社に大きな刺激を与えていると、沼澤氏は語る。
この経営戦略室で現状分析を行なった結果、2つのこと が導き出された。まず1つが、アフターマーケットにしっ かり対応できてこなかったという点。新車の売れ行きばか りに頼るのではなく、メンテナンス上必要となる修理部品 など、アフターサービス・商品にもっと注力していれば、 ここまで打撃を受けなかったのではないかという反省だ。 そして2つ目が自社の事業をポートフォリオで捉える と、自動車分野が98%を占め、新規事業の割合はわずか 2%でしかなかったという点だ。消費者にとって自動車は 高額な買い物だ、販売台数は景気に大きく左右される。 今のポートフォリオで事業を続ける限り、不景気の際に はまともに打撃を受けてしまうことになる。だからこ そ、非自動車事業、つまり新規事業の割合を増やしてい くことが喫緊の課題という結論に至ったのである。
新規事業を 骨太の事業へ強化
実はそれまでにも同社では、自動車事業以外の新たな 分野に取組んできた歴史がある。「自動車向けの開発 は、小型・軽量・耐久・コストや環境対応面でいち早く 高い技術が求められます。ですからこれを新商品に応用 したり、また、新たな技術を、最終的に自動車で実用化 するために、他の製品分野で先駆けた適用をすることに も取り組んできました」(沼澤氏) 例えば1970〜90年代にはアマチュア無線機、自動車電 話や携帯電話等、環境分野では生ごみ処理機や浄水器な どを手掛けていたこともあった。しかし、90年代の終わ り頃から2000年初頭にかけ、本業の自動車産業がBRICs等 で成長のきざしを見せると、その煽りを受けるかのよう にこれらの新規事業は縮小・中断していったのである。 それに待ったをかけたのが、当時の深谷社長だ。 「2000年頃から、非公式ではありましたが始めていた 『新たな分野にチャレンジする個人を側面サポートする 仕組み』を、2005年には社長直轄の正式な部署として立 ち上げ、強力に推進しました」(沼澤氏) 自動車業界が活発になれば自動車事業に人員も集中 し、不況になればまた新規事業をゼロから模索する−か ねてからその繰り返しを重ねてきた同社だったが「それ ではダメだ。いくら自動車事業が忙しくとも 新しい事 業の芽 とそれに チャレンジする人材 は、今のうち から育んでおかなくてはならない」という社長の考えの 下、新規事業を継続して推進していく方向へ正式に舵を 切ったわけである。 そして3年後の2008年、リーマンショックが勃発する。 その影響は甚大なもので、売上は2割程度ダウンするとと もに、営業利益も赤字に転落した。「自分たちでもそん なに事業体質が弱かったのかと改めて実感し、危機感を 募らせました。そうした事態を分析・検討し、状況を打 開するために、初めて 戦略 という名がついた『経営 戦略室』が設けられました」(沼澤氏)
新規事業の 「3つのマスト条件」とは
新しい事業の芽を育むチャレンジ人材を何十人もサ ポートしてきた。まさに今が飛躍のチャンスである。し かし、いざ本格的に取組もうと検討しようにも組織的な ベースがなかった。「経営から大きな方向性は出ました が、どういう分野・市場を、どういう考え方や組織で取 り組んでいくかは鮮明ではなく、社内にも深くディス カッションできるメンバーがあまりいませんでした。そ こで、実績があるJMACにディスカッションパートナー をお願いしました」と沼澤氏。2009年のことである。 ディスカッションには、現JMAC代表取締役社長 鈴木 亨をはじめ、チーフ・コンサルタント 池田 裕一と数名 のコンサルタントが参画した。
▲チーフ・コンサルタント 池田 裕一
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