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「やさしさ」こそが人を育て、企業を伸ばす
~キヤノン電子を高収益企業に革新したマネジメント術~

キヤノン電子株式会社
代表取締役社長 酒巻 久氏

キヤノン電子株式会社は1954 年、株式会社秩父英工舎として設立。精密機械器具、電子・電気機械器具、光学機械器具などを中心に開発・製造している。1999 年3 月、キヤノン電子株式会社の社長に就任した酒巻 久氏は、環境経営の徹底により、6 年で売上高経常利益率10%超の高収益企業へと導いた。「コスト半分」を断行し、改革を成し遂げたそのご苦労や、人と企業を育てることへの思いをお伺いした。

経営と研究開発のマネジメントの違い

鈴木:酒巻社長は1999年にキヤノン電子の社長に就任されましたが、その前はキヤノンの技術者として開発部門を牽引してこられました。技術者である酒巻社長が経営のトップに就任された時のマネジメント視点の変化や、心がけたことなどをお聞かせください。

酒巻:まず研究開発のマネジメントですが、研究開発は成功率が2~3/1,000と低いです。成功に向けては多くのパラメータがあり、事業化の可能性や、お客様の要望、世界の動きなど、10年後20年後はどう変わるのかといった予測が必要になります。そのような成功するかどうかわからない時点から開発を始めないと競争に先んじることはできない。こういった厳しい条件や、低い成功率の中で成果を出すことが研究開発のマネジメントには要求されます。一方、経営のマネジメントは見なければならないパラメータが実は少なく、そのスパンも1年単位で指標を捉えます。また、押さえておかなければならない変化点はあまり多くはありません。過去の成功した経営モデルを研究すると失敗はしにくいものです。一概に比較は出来ませんが、私は研究開発のマネジメントの方が、押さえるべきポイントが多く存在すると思っています。

そして、研究開発の成功率を上げるために、経営マネジメントとしてどうしたらよいかと言うと、開発費を自己資金で行うことです。新規事業はスピードが問われるため、借り入れなど融資に頼ると平気で2年や3年の遅れがでます。これは致命傷になりかねません。ですから、これは良い開発の芽だと思った瞬間に自己資金で、ゴールまでの最短距離を狙うのです。

私が社長に就任した当時、キヤノン電子には不良資産が100億円近くありました。自己資金を用意するためには目の前にある借金をなくすこと、それが喫緊の課題でした。大企業を立て直した先人達の過去の実績を調べてみると、皆、拡大政策は取らず、必ず縮小政策を取っていたことから、まずはコスト削減に手を付けようと考えました。

ドラッカーの著書と出逢い、自分の生きる道が見つかった

鈴木:キヤノンの技術者になって間もない1970年代のまだお若い頃から、ピーター・F・ドラッカーの「経営の適格者」を読み出して、今でも繰り返しお読みになっているとお聞きしています。当時から経営やマネジメントに興味をお持ちだったのでしょうか。

酒巻:今でもその本をずっと持っています。本はたくさん読みましたが、結局はこれが基本ですね。実はキヤノンに入社して間もない頃、会社を辞めようと本気で考えた時期がありました。入社後配属された部署の先輩は非常に優秀な方ばかりだったので、「技術ではとうてい勝てない、他の職業に変わった方がいいだろう」と考えたのです。そんなときに何気なく立ち寄った自由が丘の本屋で目に入ったのがこの本でした。当時ドラッカーなんて知りませんでしたが、立ち読みしてみると面白くて、購入して読んだのが始まりです。

この本を読んで確信したことが、「これからは横串の時代だ」ということです。近い将来コンピュータの時代が来て、そのときに必要なのは「深いが狭い技能」ではなく、「幅広い知識とものごとを多面的に見る力」なのだと気づきました。当時はまだ横串の視点を持った技術者はほとんどいなかったですから、これを習得すれば、私も生き延びることができるかもしれないと感じました。

それからは就業時間後、先輩のところに行って設計を教わったり、講座で経営を学んだりと、幅広い分野の勉強を続けました。結果としてこれが技術者としても非常に生きました。横串の視点で生み出したアイディアをもとに700件近くの特許をとり、技術者として先頭を走り続けることができたのです。

しかし残念なことに、日本では未だにこの横串の視点が乏しく、技術は世界でトップクラスなのにビジネスでは負けています。40代の頃一緒に仕事をした米アップル社の創業者スティーブ・ジョブス氏は、横串を早くから理解し実践していました。この視点があるかないか、それが、世界で勝ち残る企業に成長させられるかどうかの分かれ目だと思います。

シンプルな目標で現場を育てる

鈴木:会社の建て直しを図る時には、会社全体を巻き込んだ活動にする必要があったと思います。酒巻社長の思いを社員の方々にどのように伝え、どう変革していったのか、改革の仕掛けやご苦労された点などお聞かせください。

酒巻:会社をよくするために大切なのは、「受動的な社員を能動的に変える」こと、それと「無駄をなくす」ことだと思います。この2つを目標にして会社を建て直そうと決めましたが、受動的な社員をすぐに能動的に変えるのは非常に難しいことです。そこでまずは無駄をなくすことに専念しました。目標はシンプルに「世界トップレベルの高収益企業になろう」、そのための手段として、「TSS1/2」(TSS=Time&SpaceSaving)と決めて社員に呼びかけました。

TSS1/2のカギは現場の生産性向上にありますから、私は毎日のように工場に通い、現場のメンバーに「今作るのに4秒掛かっていたら、どうやって2秒で作れるか考えてね」などと伝え続けました。半年くらい毎回毎回繰り返していると、「社長、なんでもいいから半分にすればいいんでしょ」とこちらが言う前に言ってくれるようになりました。こうやって、思いを現場に根気強く伝え続けた結果、マネージャー層にもこの考えが浸透していったのです。

そのうち、現場のメンバーは自分で考えてどんどん作業工程を改善していくようになりました。あるとき、技術の進化でパーツが小さくなり、それに対して以前から使用しているメッキ容器が非常に大きかったので「この無駄何とかならないかな」とつぶやいたのです。そうしたら工場に長く勤めていたメンバーが、「自分達も小さく作り替えたいから予算をくれますか」と言ってきました。任せてみると、ホームセンターで購入したパーツで自作し、外注では数千万はかかるところ500万円で設備を作ってしまったのです。さらに大きなメッキ容器のために無駄になっていた5kgの金を削減してくれました。

私は、このような成果を上げた社員がいたら、すぐに幹部全員を集めて表彰します。皆の前で彼らに発表させるんですね、すると幹部たちも感動します。そして本人には表彰状、奥様には手紙と贈り物を添えて感謝の気持ちを伝えます。とにかく、成果を上げたらすぐに褒めることが重要です。すると、次から次へと意欲的な提案が出てくるようになり、能動的な人間が増えていくのです。

現場のメンバーの意見は非常に貴重ですし、彼らが変わることが会社全体を変えていく原動力になります。本社でも朝7時過ぎから誰でも自由に参加、意見交換ができるような朝会を私の社長室でしています。お菓子を食べながら、上下の関係なくざっくばらんに意見を言い合うコミュニケーションの場で、若い社員などはここで日々ダメだしをされながら、切り返す術を身に付けていったりと別の成長もあります。

「気づき」の場を与え、管理職を育てる

鈴木:現場が変わることでマネージャー層も変わると言うことですね。しかし、マネージャー層からは自分たちの意見も聞いて欲しいというような不満はなかったのでしょうか。

酒巻:最終的には上の者が変わらない限り、現場がよい方向へと変わり続けることはできません。ですから、マネージャー層ともコミュニケーションを取り、身につけるべき判断力、実行力を養うための教育をしています。このときに大事なのが、教えるのではなく気づかせるということです。

我が社では現場からの提案制度を推進していますが、課長職には提案への拒否権を与えていません。そのかわり、課長の責任は問わず、社長である私が全責任を負います。本当は拒否した方が良いと思った提案がうまくいった場合、彼らは自分の判断が間違っていたと反省します。反省し、原因を考える人は伸びます。そして、周りの意見に耳を傾けながら慎重な判断をするようになるのです。経験から判断力を身に付けて欲しいという考えです。

もうひとつ行っているのが、課長以上の週報を通じたマネージャー教育です。週報を読めば、彼らが今何を考えどう実行しているのかが把握できます。毎週月曜日の午前中は、全てに目を通しコメントを書いてフィードバックをしています。

人は自分で気づかないと行動を変えることはできません。とにかく、本人の気づきの場を与えること、そしてコミュニケーション、これが大切です。

「現場の人は私が守る」―酒巻イズムの根底にあるもの

鈴木:お話を伺っていると、酒巻社長は現場が大事なんだと一貫してお話しされています。そこを実践されているのは、ご自身の今までのご経験があったからなのでしょうか。

酒巻:実は、キヤノン電子に来るまでそのような考えはなかったんです。私はキヤノン時代、技術者として自分がこの会社を牽引しているんだという自負がありました。ですから、遠く離れた工場のことは考えたこともなかったのです。

しかし、キヤノン電子の社長になってから、それは大きな勘違いだったと気づきました。当時は本社が秩父工場に隣接していましたから、工場の現場をずっと見ているわけです。設計の不具合を現場が直しながら製品にしていってくれている。そんな場面を目の当たりにする中で、自分は偉そうなことを言っていたけれど「会社を支えているのはこういう現場の方たちの努力なんだ」と気づかされたのです。

アンケートを取ってみると、こうやって会社を支えてくれている多くの方たちが、好不況にかかわらず安心して定年まで働きたいという気持ちを持っているということが分かりました。かたや、当時の管理職の中には、安住して学ぶことをせずに業務をこなすだけの者が少なくなかった。自分の努力で選択肢を持てる人たちは何もせずとも守られている、こんなバカな話はありません。

私は、業績を立て直す際に全体会議で最初に言ったのは、「現場の方たちはどんなことがあっても私が守る」ということでした。そして現場の人員に手をつけることはせず、管理職には業績が回復したら戻すと約束して関係子会社などに出向してもらいました。誰一人文句を言う管理職はいませんでしたし、約束通り業績が回復し戻ってもらいました。

現場の制度も定年60歳までは100%保証、その後も65歳まで仕事を続けることができるように整え、賞与も増やしました。また、老朽化していた食堂やトイレも一新し、生き生きと気持ちよく働ける環境を整えていったのです。

経営者に一番重要なのは「やさしさ」である

鈴木:最後に、酒巻社長から次世代を担うトップ、経営幹部の方へ向けたメッセージをお願いします。

酒巻:経営者に一番重要なのは「やさしさ」です。それ以外は無いと言っていい。トップになるんだったら、自分中心ではなく相手の立場になって考えられるようにならなければ、部下たちはついてきません。それはたとえば、繰り返しメッセージを送る忍耐力であったり、現場を大切にする気持ちだったり、学びの場を与えるということだったりと、さまざまな場面で必要とされるものです。

そして、今の若い社員に多くの勉強の場を意図的に与えることが重要です。たとえば、本を読むときに本の最後に掲載されいる引用文献も同時に読めば、1冊で50冊分の知見が身に付きます。また、コミュニケーションはメールではなく、顔の見える直接の対話で行うことが大切です。これを徹底すれば、コミュニケーションが円滑になり、会社の風土も変わります。

次世代のリーダーには、「やさしさ」とその思いを実行する「強いリーダーシップ」を持って、自分の使命をしっかりと果たしていって欲しいですね。

【対談を終えて】鈴木 亨のひとこと

酒巻社長の社長室は何か新しい発想がどんどん出て来そうな、まるで図書館と実験室が同居した雰囲気で、とても居心地の良いお部屋でした。そこで技術に対する酒巻社長のお話しを伺っていると、私も技術屋の血が騒ぎ、ワクワクしてきました。お話しの端々に現場の方々とのエピソードが出てきましたが、現場の方々への気遣い、酒巻さんの「やさしさ」を実感したインタビューでした。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.55からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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