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日本の強み 長期視点に立った技術開発と事業育成
~飽くなき先端技術への挑戦~

東レ株式会社
代表取締役社長 日覺 昭廣 氏

真のイノベーションを生み出す秘訣は、長期的視点に立った日本ならではの企業経営、技術開発にある。世界をリードする東レの事業育成から、革新的なモノづくりやこれからの日本の製造業の強みは何かお話いただいた。

素材から社会を変える

 当社は、1926年の創業以来、「研究、技術開発こそ明日の東レをつくる」という信念のもと、レーヨンという繊維素材を起点に、炭素繊維や水処理分離膜などの革新的な先端材料を、長年にわたる研究、技術開発によって生み出し、その事業を拡大してきた。素材産業は、家電や精密機械などに代表される組み立て産業に比べると、認知度は低く、売上高も1けた少ない。しかし、素材がもたらす社会的な影響度や役割への期待は非常に大きいと確信している。2010年に社長に就任して以来、私は社員に対し、「素材メーカーとしての誇りをもつことが大切」というメッセージを常に送り続けている。
 その根底にあるのは、すべての製品のもととなる素材には、社会を本質的に変える力があるという強い思いと、素材メーカーは先頭を切り技術革新に挑戦し続けなければならないという信念である。最先端の開発では大きなブレークスルーが必要となり、技術開発者は技術革新を生むための絶えざる研究開発をし続けなければならない。そして、それを支える経営者は理解と忍耐がなければならない。こうした長期に渡る開発がイノベーションを生み出すのである。
 そのひとつが、ユニクロと連携して開発した「ヒートテック」だ。2003年の発売以降も、これまでの3種類の繊維から4種類の繊維を用いるよう2007年に改良。染まり方の異なるレーヨン、アクリル、ポリエステル、ポリウレタンの4種類の繊維をむらなく均一に染め上げることは、当時、繊維業界では不可能だといわれていた。1万着もの試作を重ねた末に、この不可能を可能にできたのは、仕事に没頭できる環境と、失敗を恐れず自由にイノベーションに挑戦できる文化があったからだ。経営者の役割は、長期的な視点を持ち、雇用の維持、優れた人材の育成と没頭できる環境の整備をしてそれを支えることである。

今まさに日本的経営が必要とされている

 また、主力製品のひとつとしてあげられる炭素繊維は、文字通り炭素からなる繊維で、直径が髪の毛の20分の1程度の細い繊維である。炭素繊維の特長は、鉄の4分の1の軽さにもかかわらず、約10倍の強度があり、さびにくく、耐薬品性が強いことである。現在では様々な産業分野での採用拡大が期待されている。
 この炭素繊維は、研究を始めてから航空機の用途拡大で需要が見えてくるまで実に50年以上の歳月を要している。累積投資額は1400億円にのぼる。多くの企業が炭素繊維事業に参入しながらも、収益が見込めないまま撤退が相次いだ中、なぜ当社が生き残ったのか。これには2つの理由が考えられる。
 ひとつめの理由としては、長期的な技術の蓄積である。1960年代炭素繊維の素材としての可能性を見抜き、1971年に世界で初めて工業生産をスタートさせた。しかし、飛行機の素材として認定され実績を作るまでには多くの時間がかかることが予想されていた。そこで人口衛星といった最先端技術や、釣り竿やゴルフクラブ、テニスラケットなど、スポーツ用品の分野で失敗の連続に耐えながらも技術を磨き続け、用途の開発に取り組んできた。「安全性、燃料効率を極限まで追求した飛行機を作りたい」と強い意志を持ち挑戦し続けた結果である。
 もうひとつの理由は、投資家を取り巻く文化の違いによるところが大きいと考えている。日本の企業や投資家には、長期的な研究開発を容認する風土があり、株主は、配当や利回りの安定を求める場合が多い。このため企業は長期的な視点で技術開発に取り組むことができる。また、日本の特徴として優秀な人材も安定した雇用環境を選択する傾向にある。欧米、とくにシリコンバレーなどでは短期的な視野で転職する人材にが多く、優秀な人材の流動性が高い。さらに、欧米型の経営では四半期ごとに業績で結果を出すことが求められるのが主流で、株主もキャピタルゲインで一攫千金を狙うのとは対照的である。
 日本には、規模の大小にかかわらず、「私財をなげうってでもモノづくりを続ける」という高い志を持ち、社会貢献と新しい価値の創造を理想に掲げる企業が数多くある。メーカー同士がタッグを組んで製品開発しながらお互いの技術力を高める環境がある。
 このような、日本的経営や、日本の企業の体質、投資家を取り巻く風土は、世界に誇るべき点であると、私は考えている。製造業の中でもとくに素材産業は、たゆまぬ研究、技術の蓄積が重要だ。欧米型の経営では、こうした研究、技術開発は継続しにくい。今まさに、日本企業の強さが見直されてきているのである。安定した雇用環境の中で、時間はかかるが本当に革新的な技術開発に取り組み、数々の失敗に耐えながらも将来の成長の種を育てる長期的な視点にたった経営こそが、日本の大きな強みなのだ。

"誰がどう使うか"を知って初めて技術が活きる

素材産業には、新たに開発した素材のみをメーカーや消費者に見せるだけでは、その素材からどんな製品が開発されるかをイメージしにくいという問題点がある。そこで、繊維事業では糸・綿(わた)から織り・編み、染色、縫製までトータルで手がけ、最終商品としての衣料品で提案できる一貫体制を構築している。最近では、炭素繊維複合材料を最大限に活用したコンセプトEV(電気自動車)など、開発した新素材を使った完成品のサンプルをつくって、それを積極的にメーカーに見てもらい"プロの視点"で新素材の活用の可能性を探ってもらう取り組みを行っている。
 また、新素材、新技術の開発だけでなく、消費者のニーズをつかむマーケティングが非常に重要だと考え、大手SPAやGMSをはじめとする最終消費者に近い企業と直接商品企画を行う取り組みも進んでいる。消費者の顔が見えて初めて技術も活き、生活をより豊かにする素材を作り出すことができる。マーケティング視点を持ち、真のソリューションを提供できるのは、技術革新以外にはないだろう。今の社会に何が必要か、現状分析を徹底的に重ね、見極める目を養うことで自ずと何をなすべきか見えてくる。事業継続の判断はそういった観点から行うべきだと考えている。
 そうした判断基準を持ち、今後は、合繊技術を核としながら、地球環境問題、資源やエネルギー問題の解決に貢献できるグリーンイノベーション事業の拡大や、繊維、プラスチック・ケミカルの基幹事業を軸に、炭素繊維は、航空機のほか自動車の車体の構造材料や、軽さと強さが求められる大型のシェールガス運搬用タンクの構造材としての用途も視野に入れている。また医薬・医療の分野では人工腎臓や透析機器などの医療材に加え、さらに新しい分野を掘り起こしていく。これら医薬・医療分野の製品に加え、ディスプレーや水処理膜、前に述べた炭素繊維などは"非"繊維事業ではあるが、例えば人工腎臓には中空糸の技術が活用されている。全ての事業の根底には繊維の技術がある。
 脈々と流れるDNAを受け継ぎながらも、科学技術的な価値を良く理解し、技術の極限を追求することで、社会的、経済的価値を備えた真のイノベーションを生み出せるのではないだろうか。

理屈じゃない「現場は正しい」

エンジニア出身で、1973年に入社以来、国内外の工場建設を担当するなど長い現場経験を経て出た私の持論は、「現場は常に正しい」という事である。私は、アメリカとフランスに合計約10年の駐在経験があるが、現地の従業員の、国籍や育った環境の違いによる根本的な価値観の相違に何度も直面し、彼らに日本の従業員と同じ事を求めるのは非常に難しいと実感した。そこで、「いい」「悪い」ではなく、まずは違いを認めた上で彼らの良い所を取り入れ、理解を求め、根気よく説得を続けながら組織のあり方そのものを根底から変えるよう努力した。現場を良くみて、現状把握と分析を徹底的に行い、「あるべき姿」と「やるべきこと」を明確にしたのである。それは、私が常に意識している「人を基本とする」経営姿勢の根底にあるものだ。
 この取り組みにはかなりの根気が必要であったが、時間の経過とともに、海外の事業拠点においても当社の理念を浸透させることができた。アメリカは、事業所を開設して約20年になるが、現在では当社の理念を理解したマネージャーが育ち、現地の従業員にも受け継がれている。
 研究、技術開発に対する姿勢と同様、現場力の向上についても確固たる信念をもち、根気よく取り組むことが大切だ。これからも、全社員が「あるべき姿をめざして、やるべきことをやる」という強い意志を持ち続け、社会に新しい価値を提供する素材メーカーとしての誇りを持って燃える集団をつくっていくことが、私の夢である。
 グローバル化が進展し、日本の製造業は高機能品、基幹部品の生産に特化する国際分業の体制を構築してきた。アジアでの生産が増えるほど、日本の高度な部材が必要とされる。今こそ、日本が長年積み重ねてきた技術力とものづくりの底力を世界に示す絶好のチャンスではないだろうか。日本のキラリと光るモノ、技術があれば、たとえ小さな部品であっても基幹部材として重要な役割を担っていける。日本企業のモノづくりの力を信じている。
 そして私には「日本が開発しなくなったら、世界中で革新的な素材は出てこない」という思いがある。世界をリードするには、長期的な視点に立った日本ならではの経営が必要だ。今後も絶え間ない研究、開発を重ね、最先端の技術や新素材を生み出すことで社会に貢献し続けていきたい。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.47 からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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